「豊かな子どもは自衛隊とかなりません」 あまりにも差別的な立憲民主党議員の発言と過去の首相たちとの言葉のギャップ
立憲民主党議員による自衛隊差別とも取れる発言が強い批判を浴びている。
「自衛隊に行く子どもたちって経済的に厳しい子どもたちが行くんですよ。豊かな子どもたちは自衛隊とかなりませんよ」
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参議院決算委員会で15日、こんな発言をしたのは、同党の古賀千景参議院議員だ。「経済的」理由で入隊する若者が多いかどうかはさておき、「豊かな」若者は「自衛隊とか」に入らない、というのは要は「金に困っていなければ就かない仕事」と言っているも同然なので、職業差別だとの批判を招くのも当然だろう。
さすがに本人は発言を撤回、謝罪し、立憲民主党は厳重注意をしたことを明らかにしているが、他党はもちろん一般国民からの批判の声も大きい。
これが強い反発を招くのは、単に差別的だからということだけではないだろう。昔から存在する自衛隊へのある種の偏った見方の典型が、いまだに一部に根強くあることを示してもいるからだ。古賀議員が日教組出身ということを考えれば、撤回したとはいえ、本音はもとの発言にあるのでは、といった見方が出てもやむを得まい。現役の国会議員の一部が自衛隊に差別意識を持っていることを可視化してしまったのかもしれない。
むろんこうした偏見を持つ議員は多くないだろう。むしろ自衛隊への尊敬や感謝の念を持つ議員のほうが多数派のはずだ。
例えば野田佳彦元首相。言うまでもなく立憲民主党の元代表である彼は「自衛官の息子」だ。父親の職業についての偏見に苦しんだ過去については、著書『民主の敵』で振り返っている。
また石破茂前首相は、別の視点から自衛隊への偏見をいさめる文章をやはり自著でつづっている。
二人の元首相による「自衛隊への偏見」についての文章をそれぞれ見てみよう。
自衛官の息子として(野田佳彦著『民主の敵』より抜粋)
昭和5(1930)年生まれの親父は自衛官でした。満蒙開拓義勇軍に応募して九州まで移動したところで終戦を迎えました。大陸に渡っていたら、その後の人生は全く別なものになっていたでしょう。
これからお国のために挺身しようとしていたところで終戦。何かをやり残したというような感覚があったのでしょう。親父は警察予備隊の第1期生に応募したのです。その後、自衛隊では、精鋭無比の第1空挺団として有名な習志野駐屯地に長年いました。途中で足をけがしてしまい、その後は駐屯地の業務隊に所属し、厚生とか総務関係の仕事をやっていました。
そういう環境ですから、私は幼い頃から厳しい訓練を受けている若い隊員の姿を、いつも見ていました。落下傘で飛行機から降りてくる姿などは日常の光景です。
出番はないとはいえ、有事に備えて厳しい訓練をしている精鋭たちの姿を間近に見てきたことは、私の安全保障観を支えており、原体験だと思います。
独身の若い隊員は駐屯地内の官舎に住んでいますが、家族持ちは隊の敷地から離れた一画に住んでいました。つまり、精鋭部隊の師弟が同じ小学校には集まっていました。偶然だったのかわざとだったのか、確かめようもありませんが、先生も、こちらと相反する思想の精鋭が集まっていました。
今とは比べ物にならないくらい、左翼的な教育の影響が強かった時代です。自衛官の子供に対して「あなたの父親は人殺しを仕事にしている」と言った教師がいた、というような話はよく伝えられていますが、実際にそういう雰囲気がありました。小学校の作文でベトナム戦争について書かされたときに、「ベトコン頑張れ、アメリカ負けろ」と書いた子がすごく褒められたのを覚えています。
小学校では親の職業は知られているわけですが、お袋は、いろいろな調査書とか出さなければいけない書類などには、親父の職業欄に「自衛隊員」とは書かずに「国家公務員」としか書きませんでした。むろん父親の仕事を恥じているわけではないのですが、余計な軋轢(あつれき)を避けたのでしょう。
もちろん、そういう偏見を持った教師ばかりではないけれども、どうしても教室に政治が入ってきました。それは、子供心にせつないものでした。(以上、『民主の敵』より)
「お前が隊員になれ」という暴論
石破前首相が、自衛隊への偏見についての持論を述べているのが『日本人のための「集団的自衛権」入門』である。安倍政権の頃、国内では集団的自衛権に関する議論が行われていた。そんな中でよく聞かれたのが、「集団的自衛権の行使を認めたら自衛隊員の危険は増すのではないか」という意見だった。こうした声に対して石破氏はどう答えたか。同書から抜粋してみよう。
「まずはお前が隊員になれ」という声にどう答えるか(石破茂著『日本人のための「集団的自衛権」入門』より抜粋・再構成)
「仮に集団的自衛権の行使を認めるということになると、自衛隊員の危険が増すのではないでしょうか。自衛隊員が死んだらどうしてくれるんですか?」
(こうした意見について言えば、)
個別的か集団的かということと危険度とは必ずしも関係ないということはすでに述べた通りです。
しかし、もともと自衛官は、
「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に努め、もつて国民の負託にこたえる」
という誓いを立てたうえで入隊しているのです。そういう覚悟が必要な危険な仕事に、使命感と誇りを持って日々任務を遂行しているのです。ですから、外部の人が「自衛隊が危なくなるから駄目だ」と言い募(つの)るのには違和感があります。
世の中には、自衛官に限らず、身の危険を覚悟して誇りを持って働いてくださっている仕事はたくさんあります。警察官や消防官、海上保安官などもそうですし、災害や事故現場での様々な仕事もそうです。「危険だから駄目」と安易に言うことは、こうした方々に対して失礼な言動ではないでしょうか。
こういう物言いをする人は、「自衛隊が普段は安全な仕事をしている」という根本的な勘違いをしているようにも見えます。別にPKOやイラクに行く隊員だけが危険な任務についているわけではありません。
災害救助や訓練で命を落とす隊員も少なくないのです。警察予備隊から含めると殉職者数は1800(注・当時)を超えています。大変悲しいことですが、毎年何人かは必ず殉職しているのです。そのことはもっと知っておいていただきたいことです。
イラクのサマーワに自衛隊を出すかどうか議論がなされていた時に、「そんなことをして犠牲者が出たらどうするのか」という人がいました。幸い、犠牲者を出さずに済みましたが、あのとき「どうするのか」と言っていた方々は、同じ時期に訓練で殉職した隊員がいることをご存知なのでしょうか。
そのサマーワへの派遣にしても、陸上部隊については本人が拒否すれば行かなくてもいいようになっていました。それでも志願者のほうが多くて、そこから選抜するのが大変だというくらいでしたし、再派遣を希望する隊員も少なからずいたことも事実です。
この「危険な仕事だから」うんぬんという話で思い出すのは、代議士になって間もない当選2回目の頃、看護師(当時は看護婦と呼ばれていました)さんたちと話したときのことです。
その頃、彼女たちの仕事の3K(キツイ、キタナイ、キケン)が問題になっていました。そのせいでなり手がいないことが社会問題になっていたのです。
その時、自民党で彼女たちをお招きして、いろいろヒアリングや意見交換をする機会を持ちました。その場で、
「みなさんの仕事は本当に大変ですね。きついし、危険ですし……」
とこちらが話を始めたら、ある若い看護師さんが烈火のごとく怒ってこう言いました。
「あなた方がそういうことを言うから、駄目なんです。あなた方外部の人が、きついとか危険だとか言うからなり手が減るんです。私たちはそれを承知でこの仕事をしているんです」
自衛官の多くも、これと似たような気持ちではないでしょうか。イラクに派遣する際に、防衛庁長官だった私のもとに、ある幹部自衛官が面会を求めて来ました。彼はこう言いました。
「長官、もしも我々の中から犠牲が出ても、派遣を止めないでください。仮に殉職者が出たことで、オペレーションを止めるくらいならば、そもそも行かせないでください。我々はそういう覚悟で行くのですから」
だから危ない目に遭わせていい、というのでは断じてありません。できる限りの装備、権限を与えて、できる限り安全に任務を遂行してもらうように、私たちは最大限の努力をしていますし、努力し続けます。それは政府の責務です。しかし、だからといって「絶対に安全」ということにはならないでしょう。
多くの国民が高く評価している災害救助でも、犠牲者が出る可能性はあります。東日本大震災においても、直接救助活動での死者は出ていませんが、過労死した隊員はいます。少し前に、キャスターの方の海難救助をしていましたが、あれもかなり命がけの仕事でした。
大前提として強調しておきますが、集団的自衛権というのは、「戦争をしかけられる確率を低くするための知恵」です。そう考えれば、自衛隊の危険度を減らすことになる、という論理も成り立ちます。
いずれにせよ、この手の質問は議論のためというよりは、ご自身の意見を言うためのものなのでしょう。「お前が隊員になれ」「まず、あなたの子供を自衛隊に入れろ」といった意見も時おり耳にしますが、自衛官は嫌々この仕事を選んだのではなく、自らの意思で、誇りを持って選んだのです。私も子供が入りたいといえば、止めませんし、嫌ならば行かせないというだけのことです。(以上、『日本人のための「集団的自衛権」入門』より)
自衛隊への偏見を持つ人たち
野田氏と石破氏、二人の首相経験者の文章が示しているのは、自衛隊には外野の無理解に苦しんできた過去があり、現在もなお何らかの偏見を持たれているという現実かもしれない。その悲しい現実を今回の古賀議員の「失言」は示してしまったというわけだ。
本来、平和教育には自国の軍隊や安全保障についての知識も含まれるはずだが、必ずしもそのようになっていないとの指摘もある。特定の見方に重点を置き過ぎだという批判だ。
失言が可視化したのはことのほか大きな問題なのかもしれない。





