「ポケットに500円だけ入れて家を出た」虐待家庭から12歳で逃げた少年 韓国ソウルで“ストリートチルドレン”になった30代男性の過酷すぎる半生
12歳で1日12時間労働、サウナで寝泊まり
食い繋ぐために、12歳で働き始めた。
最初の職場は、高速バスターミナルの中にあるキンパ屋。キンパやトンカツを売る大衆食堂で、1日12時間働いた。店主にはもちろん、親の許可を得ていると嘘をついた。当時は今ほど厳格な身元確認がなく、店側も見て見ぬふりをしたのだろう。
「顔を見れば、食べるために働かざるをえない子どもだと、店主もわかったはずですけどね」
週給は7万から8万ウォン(約7,400〜8,500円)ほど。学校へは行かず、まずは働いた。
最初のころは、サウナやチムジルバンのような安く眠れる場所で夜をしのいだ。服は高速ターミナル市場で安物を買い、洗いながら着回した。だが、子どもが一人でそんな場所にいると目立つ。怪しまれて通報され、警察に追われたこともあった。
警察は当然、親の元に戻そうとしたが、「大人は自分の話をきちんと聞かないし、信じてくれないと思っていたため逃げました」という。
休憩時間のない12時間労働の合間には、トイレの個室に入り、便座のふたを閉めてその上に座り10分でも20分でも仮眠を取った。トイレが休憩室の代わりだった。
3か月ほど働き、やがて30万ウォン(約3万2,000円)を貯めると、その金でコシウォン(廉価の学習用個室)を借りた。ようやく自分の部屋と呼べる空間を手に入れたが、そこでも長居はできなかった。未成年が一人で長くいると怪しまれるからだ。
そこで、顔なじみの不良グループの兄貴分に「もっと安い部屋はないか」と聞き、食事つきで月28万ウォン(約3万円)の部屋に移るなど、転々としながら暮らした。
コンビニ、接客、いろいろなバイトをし、中3になる頃にはオートバイで走り回る連中とつるみ、酒もタバコも喧嘩も当たり前になっていた。
そして両親からは相変わらず自分を探す気配もなく、連絡もなかった。
それでも中学は卒業しなければならないと思い、一度だけ家へ戻ったが、生活は2か月で破綻した。以前と何一つ変わらない家庭の状況に「もはや家族ではない」と決別を決めた。
完全に出ていくと告げたとき、父はなぜか泣いていたという。
さらに「人生で一番悲しかった出来事」が…
その後、ソウルに上京して伯父一家とともに暮らしていた祖父母を頼った。
彼を赤ん坊の頃から面倒を見てくれていた祖父母は、最後まで彼を自分の子どものように扱ってくれたという。伯父は高校の教頭、伯母は大企業の役員で、子どもも多く、もとの家庭とはまるで空気が違った。
「気を遣い、迷惑をかけないようにと身を縮めていましたが、それでも祖父母だけは無条件に受け入れてくれました」
高校では再びバイトと学業の二重生活を送り、ガソリンスタンドで住み込みで働いたり、雑誌のモデルの仕事もした。大人の世界がどう動いているのかを知ったのもこの時期だ。こうした仕事の積み重ねが、のちに夜の店でも、飲食でも、営業でも生きることになる。
彼にとって最も大きな喪失は、18歳で祖父を、19歳で祖母を立て続けに亡くしたことだった。
「二人には、親に頼らず立派に生きている姿を見せたかった。三日三晩、泣き続けました。間違いなく、人生で一番悲しかった出来事です」
そして皮肉にも、そこで初めて「親が死んだときの悲しさも、たぶんこういうものなんだろう」と思ったという。本当の意味で親に近かったのは、両親ではなく祖父母のほうだったからだ。キムさんは今でも納骨堂に通い、祖父母に挨拶をしているという。
[3/4ページ]

