悠仁さま「宮中晩餐会デビュー」でも注目…最上級の「国賓」が宿泊する「迎賓館」に米国大統領だけが“絶対に宿泊しない”理由とは
核のボタンは迎賓館に置けない?
「核のフットボール」とは、いわゆる「核ボタン」のこと。核爆弾を発射するためのボタンだ。かつて核戦争のコードネームが「ドロップキック」だったことからフットボールの通称で呼ばれるが、実際にはボタンではなく、米大統領は「ビスケット」と称される核兵器の発射コードを記したカードをボタンの代わりに所持。米軍の将校が「フットボール」と通称されるブリーフケースを持っており、その中に核攻撃を発動するための装置が収められているとされる。
前出の警察庁OBは「こうしたセキュリティの問題から、米国大統領は皇居にも駐日大使公邸にも近いオークラが定宿なのです。トランプ氏が19年5月に来日した際は、オークラが15年から19年の9月までリニューアル工事をしていたため、代替施設として皇居脇のパレスホテルが選ばれたわけです」と解説する。
スペイン国王とコロナ後のブラジル大統領は、過去の来日で何度か泊まっていたため、希望に基づき、ともに帝国ホテルを選択した。昨年5月に来日したオランダ国王がホテルオークラを選択したのも、オランダ側の希望だった。ホテルオークラは米大統領の受け入れ実績に基づく安心感に加え、首都アムステルダムにホテルオークラ・アムステルダムを展開している関係で王室と良好な関係にあるため、選ばれたという。
迎賓館赤坂離宮は、1909(明治42)年に皇太子時代の大正天皇のために建設された東宮御所で、紀州徳川家の江戸中屋敷のあった場所に造成。明治期の本格的な近代洋風建築技術の粋を集めた宮殿建築物だ。
第2次世界大戦からの復興を経て、日本が外交の舞台に本格復帰すると、外国から賓客を迎えるための国の施設へと大規模リニューアルが行われ、1974(昭和49)年に迎賓館へと衣替えが完了し、現在に至っている。ちなみに東宮は皇太子の別称である。
老朽化から2009(平成21)年に大規模改修が施され、文化財として保護するため国宝に指定された。明治維新後の「皇太子邸」つまり東宮御所は赤坂離宮が初代だ。大正天皇の即位後は、旧熊本藩主細川家の江戸中屋敷跡地にあった東京・高輪の高輪御殿が皇太子時代の昭和天皇のために1914(大正3)年、東宮御所に改められ、関東大震災のあった1923(同13)年まで使用された。
1959(昭和34)年、皇太子時代の上皇陛下が、美智子上皇后と結婚されたことを受け、その翌年、赤坂御用地に東宮御所が新設された。上皇陛下は即位後、皇居に新たな御所が完成したため1993(平成5)年に転居。同年、雅子皇后と結婚された皇太子時代の天皇陛下は、臨時に東宮仮御所としていた赤坂御用地の赤坂東邸から近接の東宮御所に転居されている。
いわゆる東宮御所は現在存在せず
令和へのお代替わりに伴い、秋篠宮さまは皇太子を名乗らず皇嗣となられたことで皇太子は不在となり、現在は「東宮御所」と呼ばれる施設は存在せず、この建物には上皇上皇后両陛下が戻られて仙洞御所となっている。上皇陛下が即位した際、皇居内に新たな御所が建設されたのは、昭和天皇が住んでいた御所には香淳皇后が崩御する2000(平成12)年まで大宮仙洞御所として住んでいたためだ。ただし、この建物は老朽化が激しいことから「歴史的建造物として保存すべきものと考えているが、住居としての再生は困難」(宮内庁関係者)とみられている。
また、高輪にあった昭和天皇の東宮御所は1930(昭和5)年から、高松宮妃喜久子さまが亡くなった2004(平成16)年まで高松宮邸として使われており、その後、高輪皇族邸として宮内庁が無人のまま管理。上皇陛下の生前退位に伴って、旧東宮御所を仙洞御所に再整備するため、工事が行われていた2020(令和2)年から22年の間は、仙洞仮御所として上皇上皇后両陛下が住まれた。
三笠宮寛仁親王妃信子さまが長年お住まいだった千鳥ヶ淵近くの宮内庁分庁舎がバリアフリー化の工事に入ったため、2025年からは、この高輪皇族邸を信子さまが仮住まいとして使われている。余談だが、宮内庁分庁舎は旧宮内庁長官公邸が転用されたものだ。
天皇皇后両陛下は5月29日、マルコス・ジュニア比大統領夫妻を御所に招き、別れの挨拶をされた。従来は両陛下が宿泊先を訪ねるのが慣例だったが、より親密に話されるための措置である。
迎賓館の“泊まり心地”はどうだったのか、陛下はお聞きになっただろうか?
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