「試合に出場していない私も殴られた」 『スクール☆ウォーズ』伏見工業の山口良治監督、弱小チームを変えた熱血指導【追悼】
校内でバイクにひかれかけたことも
代表を退き、74年、伏見工業に体育教師として赴任。喫煙や暴力が日常茶飯事でも日本代表の経験者に部員は喜ぶだろうと楽観視していた。だが、逆に生徒にすごまれ校内でバイクにひかれかけた。
不良を叱るだけでは離れてしまう、非行には必ず原因があり、順にたどっていけば分かり合えると根気良く向き合った。こうして翌年、ラグビー部監督に。大敗で変化が生まれた。
「細かな技術より基礎の反復練習でした。ひたむきにやり通す。山口先生は何から何まで一人でされていた。ラグビー以外にも約束を守れとか毎日の生活の注意もしてくれた。部員一人一人を見てくれているのが分かった」(清水さん)
泣き虫先生
76年には早くも近畿大会で準優勝、打倒花園高も果たす。山本清悟、大八木淳史、平尾誠二らが次々に活躍、81年の日本一につながる。山口さんは涙もろく、「泣き虫先生」と呼ばれた。
総監督時代を含め全国制覇を4度成し遂げた。教え子との縁を大切にしていた。
「私は高校卒業後ラグビーを離れ、京都で中華料理店(清華園)を開いたのですが、何でも一生懸命やればいいと先生は区別などしなかった。先生は唐揚げが好きでした」(清水さん)
5月29日、脳梗塞のため83歳で逝去。
「亡くなる数日前のことです。先生のお知り合いの方がお客さんとして来られ、先生にLINEを送るとすぐに返事を下さった。私の体調を気遣う内容で驚いた。先生に心配をかけまいと伝えていなかったのです。どこかで知り、高校生の時のように見守ってくれていたのですね。いくら感謝しても足りません」(清水さん)
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