「雅子妃には興味がおありだったようです」…天皇皇后両陛下ご成婚時の“私的な披露宴”、積極的に参加した皇族・元皇族と欠席者の顔ぶれ
冷ややかだった昭和の御内宴
宴そのものは、1時間20分ほどのディナーを終えると、石橋の間へ場所を移した。そこでは、立食のレセプション形式だったから、てんでに飲物を片手に人の輪を作っては歓談。とくに皇太子殿下と雅子妃殿下を取り巻いては、すべての出席者が会話を楽しんでいたという。宴の終了は午後9時10分を回っていた。
ある皇室ジャーナリストはいう。
「今上陛下と美智子皇后のご結婚のとき(昭和34年)にも、御内宴は開かれました。しかし、あの時は、皇太后(当時の香淳皇后)が美智子妃を迎えるのを不快に思っておられたので、その空気が皇族や元皇族、宮内庁の一部にも広がり、今から思うと実に冷ややかに行われたのです。晩餐会ではなく、昼食会として行われ、それも小一時間で終了しています。昭和天皇と皇太后は、御内宴に先だって、その日(同年4月12日)の正午ちょっと前に、正田英三郎・冨美子夫妻に会われましたが、それは謁見に近いもので、親戚と親しく口をきくというようなものではなかった。
正午から始まった昼食会も、円卓ではなく、両陛下と正田夫妻の席は離れていたようです。しかも、出席者は皇族と元皇族ばかりで、正田家からは夫妻のほかに、祖父の貞一郎氏と長兄の巖氏が招かれただけ。全部合わせても46名。黙々と食事をし、高松宮宣仁(のぶひと)さまの音頭で乾杯はしましたが、互いに親しく話し合うようなことはなく、午後1時をすぎると散会したのです」
出席者は昭和34年の倍近い人数に
それが、その後の「美智子妃いじめ」や「正田家の冷遇」の始まりだったと言われるだけに、今回、雅子妃を迎えるに当っては、「美智子皇后は御内宴を温かいものに変えようと並々ならぬ努力をされた」と、皇室ウォッチャー達はいうのである。
「もちろん、天皇も同じお考えなのでしょうが、今回は皇族、元皇族のほかに、正田家からは兄の巖夫妻と弟の修(日清製粉社長)・泰子夫妻、妹夫妻も招かれた。そして、秋篠宮妃のご両親、川嶋辰彦・和代夫妻、三笠宮寛仁親王妃の母堂・麻生和子さん、三笠宮家の容子(まさこ)さんが嫁いだ千家の宗室・登三子夫妻と、いわゆる平民の親族も残らず招いた。
そのうえ圧巻は小和田家で、雅子妃の祖父母、両親だけでなく、父親・恒氏の兄弟とその配偶者すべて、そして雅子妃の妹さんまで、招待したのです。その結果、昭和34(1959)年の御内宴の倍近い人数になり、雰囲気も様変りしたのです」(皇室通)
天皇皇后両陛下が盛んに小和田家側の人達を励まそうと試みたのも、そんな背景があってのことだというのである。
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