高知県の過疎化は他人事ではない 日本の社会がもたない「出生数67万人」という現実を直視すべき

国内 社会

  • ブックマーク

いずれ日本中が高知県のようになる

 最近、人口減少の問題にからんで高知県が話題になることが多い。

 5月20日付の朝日新聞は、同県大豊町の橋についての記事を掲載した。標高200~1400メートルの険しい土地に、吉野川とその支流が流れる大豊町には、町道橋が310ある。だが、同町の人口は3,000人を切っており、高齢化率も6割超。すべての橋の維持はとても無理なので、優先順位を決め、残せないものは撤去するしかないという。310の橋をすべて維持するには、50年間で100億円超を要するという試算があり、一般会計の規模が年間60億円余りの町がそれを負うのが困難なことは、容易に想像できる。

 高知県の取り組みが紹介されたのは5月25日付の日経新聞だった。県の人口は26年4月現在、推計で64万人を割り込み、国勢調査がはじまった1920(大正9)年より3万人以上少ない。そこで浜田省司知事は、県内15の消防本部を一つに統合するなど、人口減少下における「スマートシュリンク(賢い縮小)」を実現しようとしているという。

 ちなみに、1920年の日本の人口は5,596万3,053人と、現在の半分以下だった。いま高知県の人口がその時点の同県人口より少ないというのは衝撃的である。ピークは1955年(昭和30年)の88万2,683人で、2019年に70万人を割り込み、それから6年余りでさらに6万人ほど減ったことになる。

 ここで強調したいのは、高知県の人口問題は、特殊な事例ではないということだ。たしかに、高知県では長いあいだ過疎化が深刻な問題で、人口減少と高齢化が全国に先んじて進んできた。だが同県は、日本全体がこれから直面しようとしている課題を、全国に先駆けて経験している「課題先進地」であるにすぎない。

 そのことについては、数字を挙げながら後述したいが、筆者が危惧するのは、日本が近い将来に否応なく直面せざるをえない課題に、気づいていない人が多いことである。

有権者を恐れて人口減を直視できない首長たち

 それに関し、前述した日経新聞の記事中の一文が示唆的だった。その箇所を以下に引用する。

〈「それを言っちゃあ、おしまいよ」。県内(註・高知県内)のある首長は映画の名ゼリフになぞらえてつぶやく。首長にとって「縮小」の2文字は有権者から後ろ向きと捉えられかねず、タブーに近い。「人口維持へ努力してきたのに」との思いもある〉

 筆者も感じてはいたが、全国の自治体で首長たちが、維持できるはずのない人口を維持すると、有権者すなわち住民にうそぶいてきたということである。「縮小」をタブー視するとは、たとえれば、火の手が迫っているのに、または洪水が押し寄せているのに、大丈夫だといって安心させることにも近い。

 多くの自治体で、首長みずからそうやって住民をあざむいてきたから、今後は行政サービス等を縮小していくほかないという実情を、多くの人が認識していないのである。したがって、なにをどう縮小していくべきか、早急に議論する必要があるのに、緒に就くことさえできない。

 縮小どころか、日本中でいまなお拡大路線が取られている。たとえば、整備新幹線は資材や建設費の高騰などが原因で、未開業区間の整備やあらたな路線の着工は、大幅に遅れているが、計画が消えたわけではない。また、タワーマンションや商業施設などを一体整備する拡大型の都市再開発が、全国で計画されている。やはり建設費の高騰などの理由で頓挫する計画もあるものの、事業が進行中の再開発は多く、あらたな計画も後を絶たない。

 だが、毎年減少を続ける出生数を確認し、それをもとに少し計算するだけで、人口の維持など絶対にありえない夢物語だと気づくはずだ。それどころか、全国津々浦々が高知県大豊町のようになるに違いないという、恐ろしい現実を突きつけられる。

次ページ:日本の人口は5,600万人になる?

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。