国内人口300万人減の衝撃 それでも人口を増やし続ける「地方都市」の原動力となった鉄道
政府が重い腰をあげた
さらに追い風となったのが、1978年に開港した新東京国際空港(現・成田国際空港)だった。日本の新たな玄関口を担う新東京国際空港は筑波研究学園都市からも近く、それは研究機関・学術機関からも歓迎される。
1985年には国際科学技術博覧会(科学博)が開催されて、これも筑波研究学園都市の発展を促していく。同時に周辺自治体の都市化も促す効果を伴った。
科学博は多くの来場者が見込まれていたことから、既存の高速バスや常磐線では輸送力が不足すると事前から予測されていた。しかし、つくば科学博のためだけに新たな鉄道路線を建設することは難しかった。
そこで、常磐線の牛久駅―荒川沖駅間に臨時駅の万博中央駅を開設することで凌ぐことになる。万博閉幕後、同駅の跡地は再整備されて新たにひたち野うしく駅として供用されて現在に至っている。
ひたち野うしく駅は実質的に筑波研究学園都市の最寄駅として機能することになるが、同駅から筑波研究学園都市までの徒歩移動は難しく、バス利用が前提になっている。乗り換えの手間などを考慮すると、アクセスに優れているとは言い難い。そうした思惑から、利便性の高い鉄道を求める声が強まっていく。
茨城県内では、科学博の開幕前後から新たな鉄道建設を模索する動きが出ていた。しかし、茨城県という一自治体だけで新線を建設することは荷が重かった。政府が重い腰をあげるのは、科学博が盛況に幕を閉じ、筑波研究学園都市が開発見込みの立つ有望なる地へと変わりつつあったことが大きい。こうして常磐新線という名称で、新線計画が本格的に始動した。
大きな恩恵を受けたのは…
こうしてスタートした常磐新線の計画は、外野が思うほど順風満帆には進まず、運行事業者として名乗りをあげていたJR東日本が手を引くなど、紆余曲折もあった。
特に建設資金や安定的な運営をするための収支といった、金銭面による部分は大きな壁になっていた。
開業してしまえば建設資金の負担はなくなるが、ランニングコストは半永久的に発生する。不採算路線を新たに建設するわけにもいかず、需要を増やす施策を打ち出さなければならない。そこで政府は、宅鉄法という特別措置法を制定して計画・建設を推し進めた。
同法は強制的に沿線開発を進める法律で、TX以外の鉄道建設にも適用できるのだが、現在まで適用されたのはTX一例のみで、実質的に同鉄道のためだけに制定されたと言っても差し支えない。
国による側面的な支援も取り付けて開業したTXは、事前の不安要素を一掃して沿線自治体の人口・経済・産業を飛躍的に活性化させた。
TXの開業で、特に大きな恩恵を受けたのが千葉県流山市だ。流山市は“母になるなら、流山市。父になるなら、流山市。”をスローガンに掲げ、子育て支援を充実させてきた。
また、ファミリー層が購入しやすい手頃な価格で戸建住宅が購入できるという不動産的な強みもあった。こうした要因から流山市は、子育て世帯に支持されて人口を増やしていく。
それまでの流山市は鉄道ネットワークが脆弱だったため、子育て世帯への訴求力が弱かった。TX開業前の流山市は、市内から東京方面へと通勤するのに総武流山電鉄(現・流鉄)に乗車し馬橋駅から常磐線に乗り換えるか、東武鉄道野田線で柏駅まで移動して常磐線に乗り換えるルートが一般的だった。
これでは東京までの通勤が一苦労になり、いくら子育てに適した戸建て住宅が手頃な価格で購入できる環境でも、簡単には手を出しづらい。そうした事情は、TXの開業によって一変した。そして、流山市の躍進は近隣自治体の関係者たちを刺激することになり、それがTX信仰の素地になっていく。
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