麻酔薬で眠らせ奇跡の救出劇…タイの洞窟で遭難したサッカー少年12人とコーチ、5年後に見舞われていた“悲痛な別れ”【ラオス洞窟遭難で再注目】
伏せられた麻酔薬の使用
しかし、ここからが大問題だった。13人がいる場所までには多数の難所があり、酸素タンクの途中交換も必須。しかもすでに、交換用タンクを運んでいたタイ海軍ダイバー(当時)のサマン・グナン氏が命を落としていた。
「プロですら到達困難な場所からどうやって13人を救出するのか。雨季が終わるまで待つ案もありましたが、第9空間の酸素はだんだんと薄くなり、再び大雨が近づいていました。時間がない中で決まった作戦は、彼らを麻酔薬で眠らせ、ダイバーが“運ぶ”というものです。眠っている間に溺れたり、逆に目が覚めてパニックになったりする危険性も高かったのですが、とにかく時間がなかった」
遭難から16日目、ついに救出作戦が始まった。
「1人ずつにダイビングの装備をつけて、麻酔薬の注射を打ち、眠らせる。その状態で第3空間まで運び、次のダイバーに引き渡すという手はずです。3日間かけて全員を無事に運び終わると世界でも速報となりましたが、麻酔薬の使用は作戦決行前に公表されていません。担当した医師らは、翌年7月に発行された医学誌で詳細を明らかにしました」
救助に携わった人数は約1万人といわれる。救助活動そのものに大きく貢献し、勲章が与えられた188名には、JICA関係者の日本人3人も含まれていた。
「助けられた良い子として行動しなくては」
救出された13人は世界の有名人となったが、その前にクリアすべき件があった。
「ジャンタウォンさんと少年2人はそれぞれミャンマー難民でしたが、救出から1カ月後にタイ国籍を与えられました。母国で僧侶の修行を積んだ経験があるジャンタウォンさんは、遭難中に祈りと瞑想の時間を設けて子供たちを落ち着かせていたそうです。時計を使って一日のリズムを崩さないよう工夫するなど、統率力が称賛されました」
後に制作されたドキュメンタリーによると、サッカーチームの隠れた役割は貧しい彼らを非行に走らせないストッパーだった。仲間を思う心、協力の大切さ、自制心は日ごろから意識的に養われていたようだ。
「救助の順番を決める際も、13人で話し合い、譲り合って決めています。救助後の入院先でも礼儀正しく、少年の1人は後のドキュメンタリーで、『たまたま閉じ込められて有名になった。助けられた良い子として行動しなくては』と当時の心境を明かしました」
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