【笑点60周年】出演は「実は乗り気ではなかったんですよ」 大喜利メンバー時代の「5代目三遊亭円楽」に“降板”を決意させた師匠の指摘

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師匠と2人で全国を回って

 昭和52(1977)年3月27日の放送を最後に、円楽師匠は「笑点」を降りる。

「それで、独演会で全国津々浦々まで回るようになったのですが、『笑点』を辞めて最初の独演会に、お客様が来てくれるかどうか本当に不安でした。でもね、最初から超満員。あれはたまらなかったですね。最初はテレビに出ていた余韻かなと思っていたのですが、2年経っても3年経ってもお客さまは来てくれる。これはね、本当に稽古になりました。田舎はね、馬鹿にしちゃいけないんですよ。そこで手を抜いたりしたら二度と声がかからなくなりますからね」

 昭和53(1978)年、真打ちの乱造を批判して、円生師匠が落語協会を脱退した。

「ウチの大将(円生師匠)にね、“おまいさんは常任理事なんだから、このまま残って三遊派を束ねていきなさいよ”と言われたんですよ。とはいえね、見た目はいくら若くても当時の師匠は78歳。1人にするわけにいかないな、と。“どこまでも付いていきます”って言ったら、師匠は嬉しそうな顔をしていましたね。

 それで師匠と2人で全国を回るようにしたんです。円生師匠ですからね、どこへ行っても大盛況でしたけど、1年後の9月3日、自分の誕生日に逝きました。師匠のあの一言があったから、自分を見直して独演会で全国を回った。おかげで、何とかマシな芸人になれたんじゃないかな、と思っています。あのままチヤホヤされていたら、どうなったのかなと思いますね」

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「どうか戻ってきてくれないか」――。独演会会場にかかってきた「笑点」スタッフからの電話。4代目司会者として復帰したが、病魔は容赦がなかった。第2回【【笑点60周年】「どうか戻って」と懇願され番組に復帰…「5代目三遊亭円楽」が爆笑の陰で乗り越えた“週3日の人工透析と脳梗塞”】では、その詳細などを語っている。

デイリー新潮編集部

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