なぜあの年だけ輝いたのか…「ノーノー男」、「落合博満を追いやった4番」、「交流戦無双右腕」の“短すぎた全盛期”

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 あの年だけは何だったのか――そう言いたくなる選手が、プロ野球の歴史にはいる。

 ノーヒットノーラン、20本塁打、交流戦での無双劇。一瞬だけなら、間違いなく主役だった。だが、その輝きは長く続かなかった。音楽業界で「一発屋」と呼ばれるワンヒットワンダーのように、野球界にも“ワンシーズンだけ輝いた男たち”がいる。今回は、そんな不思議なキャリアを歩んだ選手たちを振り返ってみたい。【久保田龍雄/ライター】

僕が達成できるなんて思っていなかった

“伝説のノーヒットノーラン男”として、今もコアなファンの間で語り継がれているのが、広島・藤本和宏だ。

 1967年にドラフト外で西鉄に入団した左腕は、3年間で登板10試合、0勝2敗に終わった。膝を痛めたことも災いし、69年オフに自由契約となる。その後、コーチの紹介で広島のテストを受けると、根本陸夫監督に球質の重さとカーブの切れを認められ、合格。ここから運命が大きく開けた。移籍1年目はウエスタンでシーズンの半分にあたる約30試合に登板し、1軍でも敗戦処理などで10試合に登板した。

 翌71年は5月29日のヤクルト戦で3回からリリーフし、3回7奪三振と好投。これをきっかけに先発ローテーション入りした。6月18日の大洋戦で1失点完投のプロ初勝利を挙げると、同29日の中日戦でプロ初完封の2勝目。オールスター前までに4勝を挙げた。

 そして8月19日の中日戦。ストライク先行の投球で6回まで毎回の8三振を奪った藤本は、8回まで無安打無失点の快投を続ける。9回も先頭の高木守道を右飛に打ち取り、次打者・江島巧に四球を許した。直後、アウトカウントを勘違いした江島が、新宅洋志の左邪飛で二塁を回るミスを犯し、併殺でゲームセット。この瞬間、ノーヒットノーランが達成された。

「アウトコースの真っすぐが良かった。まさかね、僕が達成できるなんて思っていなかった」

 無上の感激に浸った背番号46だったが、「最後の打者を三振に打ち取ったとかだったら、“やったな”と思うけど、走者の暴走で併殺ですからね。なんか、あっけない幕切れでした」と複雑な表情ものぞかせた。

 同年は10勝6敗を記録し、最優秀防御率(1.71)も獲得。野球人生で最良のシーズンとなった。ところが、翌年以降は1勝もできず、74年に通算10勝10敗で引退。「たった1年だけ輝いた男」となった。

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