「ドウェイン・ジョンソン」と気鋭の映画スタジオ「A24」が組んだ話題作が全米で大コケ!? レジェンド格闘家の伝記映画が伸び悩む理由
豪華な俳優陣……
もともと同作が製作されたきっかけは、ケアーがリングに上がり続けながら、強力な鎮痛剤や麻薬に依存する姿や恋人との関係に悩む姿をカメラに収め、米ケーブルテレビ・HBOで放送されたドキュメンタリー映画にある。この作品に深く感銘を受けたジョンソンが、複数の部門で米・アカデミー賞受賞・ノミネート作品を世に送り出した米の映像会社・A24とタッグを組んで製作した。
「ジョンソンといえば、世界最大のプロレス団体・WWE時代にザ・ロックとしてスーパースターに君臨。俳優に転身後も、一躍ハリウッドのトップスターに駆け上がりました。『ワイルド・スピード』シリーズや『ジュマンジ』シリーズなど、派手なアクションや娯楽大作のイメージが強く、ファンもそういう作品を期待しています。しかし今作は、薬物依存による精神的崩壊、恋人や周囲の人間関係を重く描く伝記ドラマ。いらついてドアをたたき壊すDV男のようなジョンソンを観客は望んでいません。予告編では、ケアーがフランク・シナトラの『マイ・ウェイ』が流れる中、リングに向かう感傷的なシーンがありましたが、正直、ジョンソンが作品選びに失敗したという感じです(映画担当記者)
米での公開の際、グラミー賞歌手・テイラー・スウィフト(34)の新アルバムリリースに関連した作品とのバッティングも興収が低迷した理由とされていたが、前評判の高さと鑑賞した観客が感じたギャップも、興収が伸び悩んだ理由だという。
「昨年8月開催の世界三大映画祭のひとつ『ヴェネツィア国際映画祭』では、高評価で銀獅子賞を受賞。昨年の優れた映画・テレビに贈られる『第83回ゴールデングローブ賞』ではジョンソンが主演男優賞、ケアーの恋人・ドーン役を演じている、『プラダを着た悪魔』にも出演しているエミリー・ブラント(43)が助演女優賞にノミネートされました。米では『オスカー候補』との呼び声もあったそうですが、『第98回アカデミー賞』ではメイクアップ&ヘアスタイリング賞のノミネートにとどまりました。そもそも、アカデミー賞で俳優か作品が何らかの賞を受けていたら、日本での公開はもっと盛り上がっていたはずです」(同前)
それでも、日本でのヒットが期待されるには、それなりの理由があった。日本で人気を集めた「PRIDE」が舞台になっているだけに、日本人キャストを積極的に起用しているのだ。
「例えば、2000年1月の『PRIDEグランプリ』開幕戦でケアーと対戦したエンセン井上役を、柔道北京五輪男子100キロ超級金メダリストの石井慧さん(39)。PRIDEから現在はRIZINを率いる榊原信行役を、大沢たかおさん(58)。会見の通訳をタレントの光浦靖子さん(55)。グランプリの開会式でギターを演奏したギタリストの布袋寅泰さん(64)を本人が演じています。当時、観戦していた世代にとっては懐かしい限り。日本では流行るかなと思ったんですが、石井さんはセリフがなかったのに、通訳の光浦さんはしっかりセリフあり。名優の大沢さんはビジュアルは榊原氏に寄せていましたが、なぜかセリフは棒読みでした(笑)」(映画を鑑賞した40代後半の格闘技ファン)
ほかの主要キャストは、ケアーの友人で2000年の「PRIDEグランプリ」を制した米の格闘家・マーク・コールマン(61)役を、世界的な現役格闘家のライアン・ベイダー(42)。ケアーのライバル的な存在となるウクライナの格闘家・イゴール・ボブチャンチン(52)役を、ボクシングのヘビー級での史上初の4団体統一王者である、オレクサンドル・ウシク(39)が演じている。
ブラントを始め、役者陣も演じた役柄も日本ではよく知られる存在なのだが、米国でヒットしなかった原因はどこにあるのだろうか?
「ケアーは大学時代、レスリングで活躍しましたが、先に総合格闘技(MMA)に転向していたコールマンのすすめもあって転向。連戦連勝でデビューした97年、今や世界最大の格闘技団体となっている米UFCのヘビー級トーナメントで王者になります。ところが、当時のUFCは現行の運営体制とは違い、ルールや階級についても整備されておらず。さらには、全米各州のボクシングコミッションは危険なルールのUFCの興行開催を認めない州もあったのです。そのため、米でケアーの知名度は浸透しませんでした。映画の中では、病院の待ち合い室で老婆に自分のことを知っているかを聞き、その知名度のなさに落ち込むシーンがありましたが、その通りだったのです」(格闘技業界関係者)
伝説の格闘家
ケアーは、98年3月に開催された「PRIDE.2」でPRIDEのリングに初参戦。当時、日本では人気格闘技イベントとなっていた立ち技格闘技「K-1」の第1回グランプリ覇者であるブランコ・シカティックと対戦。わずか1ラウンド2分14秒で、ケアーの反則勝ちとなり、その後も外国人選手に2連勝。99年7月の「PRIDE.6」では当時PRIDEの象徴的存在であった高田延彦(64)にアームロックで一本勝ちを果たした。
「実はケアーの初参戦時、93年の第2回UFCで無差別トーナメントを圧巻の強さで制したホイス・グレイシー(59)との対戦が予定されていました。ホイスはほぼノールールで全米を震撼させたUFCトーナメントで連覇。全米の格闘技ファンの間でも知名度があったので、米でもホイスとの対戦実現が注目されていました。実現していれば、また、違った人生になっていたでしょう」(同前)
結局、ケアーはPRIDEグランプリの開幕戦で、石井が演じるエンセンに勝利したものの準々決勝で当時、新日本プロレスに所属していた故・アントニオ猪木さんの愛弟子・藤田和之(55)に判定負け。以後、PRIDEのリングでは1勝をあげた後に3連敗して以降参戦せず。09年8月の試合を最後に引退している。




