五十嵐淳子さんと中村雅俊、おしどり夫婦の秘話 結婚式で酔っぱらった松田優作が放った「衝撃の一言」とは 徳光和夫が明かす
【全2回(前編/後編)の前編】
ひとはみな一人では生きてゆけないものだから――。中村雅俊(75)が1974年に発表したデビュー曲「ふれあい」の一節である。4月28日に急逝した女優・五十嵐淳子さんと中村は無類の“おしどり夫婦”として知られてきた。秘話でつづる、二人が生きたヒストリー。
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【写真を見る】中村雅俊が一目ぼれ 若き日の五十嵐淳子さんの美し過ぎる姿
4月中旬のある日、東京・祖師ヶ谷大蔵駅前にあるお好み焼き店「剛毅」の電話が鳴った。
「電話を取ると“中村です”。“雅俊さんですよね?”と聞くと、“うん、今から電車で向かうんだけど、いける?”とおっしゃって」
そう話すのは「剛毅」の店主である。
「雅俊さんは淳子さんと店に入ると“久しぶりに二人で外食しに来たんです”と言っていました。一番奥のカウンター席に座られて、いつもと同じように〈そば入り肉玉〉のイカ天トッピングと〈チーズ焼き〉、あと雅俊さんの好きな〈牡蠣のバター焼き〉を召し上がっていました。だから、知人から淳子さんの訃報を聞いて本当に衝撃過ぎて……。全然体調が悪そうには見えなかったです」
ホステス時代にスカウト
お好み焼き店での晩餐からおよそ2週間たった5月2日、中村の所属事務所は五十嵐さんの急病による逝去を公表。併せて中村も、
〈俺の人生最大のラッキーは妻と出会ったことでした。その妻を亡くすことなど考えたことがなくて、今はその現実を受け止めることができません〉
とコメントした。彼と五十嵐さんは“理想の夫婦”ランキングで長らく上位にランクインするほど、誰もがうらやむ仲だった。
1952年に埼玉・浦和で生まれた五十嵐さんは、
「高校を2年の時に中退し、東京へ出て銀座のクラブ『徳大寺』でホステスとして働き始めました」(芸能デスク)
安西マリアや風吹ジュンなど、そうそうたる面々が輩出したことでも知られている「徳大寺」。芸能界はもちろん、財界の重鎮などが足繁く通う店として鳴らした。
「五十嵐さんはホステス時代にスカウトされて芸能界入りすると、70年にドラマ『日曜8時、笑っていただきます』でデビュー。当初は清純派の〈五十嵐じゅん〉として活動していましたが、間もなくいったん、芸能界から引退しました」(同)
彼女が再び芸能の舞台に立つのは75年。自ら志願して映画「阿寒に果つ」の主役の座を射止めたのだ。
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