「自分は間違っていたのか、ずっと引っかかっていた…」 名物審判「平光清さん」が実況アナに漏らした「幻のホームラン」秘話
審判を「さん」付けで実況することで知られた元東海ラジオアナウンサーの村上和宏さん。35年にも及ぶプロ野球実況を支えてくれた、大切な恩人がいるそうです。それはNPB審判員だった平光清さん。アナウンサーと元審判……知られざる秘話です。
野球規則を丸暗記
以前にも書きましたが、全くの素人にもかかわらず、スポーツ担当を会社から命じられた私にとって、実況は非常にハードルの高い、まさに“チャレンジ”でした。
特に野球に関しては、ラジオやテレビで中継を見聞きし、時には球場まで足を運んで贔屓の選手が活躍しては喜び、チームが勝てばなお喜び……という程度でした。ですから仕事として、耳の肥えたファンの方にも納得いただける中継を担当するのは、まさにゼロからのスタートでした。
グラウンドのプレーを言葉にすることもさることながら、最初の課題は野球のルールをきちんと覚えることでした。観戦に必要な基礎的なルールは知っていましたが、試合展開によってはいつ起きるかわからない事態に、どう対処するのか……実際「インフィールドフライ」の定義どころか、その言葉すら知らないレベルだったのです。
「野球規則」を渡され、日々勉強することになりましたが、まるで法律書のような難解な表現と条文の多さに、心が折れそうな毎日を過ごしました。
そんな私にわかりやすく丁寧に教えてくださり、救世主となったのがセ・リーグの審判を辞め、1993年から解説者となられた平光清さんでした。ナイターオフに担当したスポーツワイド番組で、解説としてご一緒する機会が多かったこともあり、公私ともに大変かわいがっていただきました。
最初に平光さんに脱帽したのは「野球規則」と「アグリーメント」がすべて頭に入っていたことです。私がルールに関する質問をすると、「それは野球規則5.02(a)にありますが……」と、手元に野球規則があるかのように、条文がスラスラと出てくるのには舌を巻きました。
野球規則の本は、厚みこそ1cmそこそこですが、使われている紙は辞書同様大変薄いもので最新版は242ページあります。そこに細かい文字がびっしりと並んでいるのです。その分量たるや相当なものです。
平光さん自身はプレーヤーとしての野球経験はありません。慶応高、慶応大で野球部のマネージャーを務められたのが野球との最初の接点で、日本通運に就職された後、仕事の傍ら甲子園での高校野球、東京六大学、都市対抗野球など、アマチュア野球で審判の経験を積まれ、1965年にセ・リーグの審判に採用されました。
前回ご紹介したように、審判になってから1軍の試合を担当するまでには長い道のりがあるのですが、平光さんのすごいところは2軍戦を1度も経験することなく、この年の開幕戦からライト線審として大洋-国鉄戦を担当し、開幕2カード目の国鉄―広島戦で早くも球審を任されていることです。プロ野球の審判から見ても、即戦力として任せられるレベルをはるかに超えていたのです。
平光さんは「審判が試合をコントロールする」ことを特に大切にされ、さらにプレーする選手に対しての敬意から「審判も魅せる存在でなければならない」という信念をお持ちでした。
自宅で制服とプロテクターを身に着けて、ボール・ストライクを判定する、あるいはアウト、セーフを判定した際の自分の姿を大きな鏡に映してチェックし、どのような所作ならわかりやすいか、美しく見えるかを追求されていました。
それで生まれたスタイルの一つが、片膝を地面につける「ニースタンス」であり、誰よりも早く取り入れた「インサイドプロテクター」です。かつては亀の甲羅のような大きなプロテクターを制服の外につけるのが主流でしたが、今、プロ野球でそのプロテクターを使う審判はいなくなりました。まさにトップランナーだったのです。
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