「水着やレオタードのコントはちょっと恥ずかしくて…」松本典子、楽屋で直談判 志村けんさんの“答え”とは
約5年半レギュラー
1992年12月まで約5年半という長きにわたり、『だいじょうぶだぁ』ファミリーの一員としてレギュラーを務めた。
「志村さんじゃないとあんな良いチームワークにはならなかったかもしれないですよね。それくらいコントに真剣でしたし、仲間に優しかった方でした。『ウンジャラゲ』というもともとは、ハナ肇とクレージーキャッツのみなさんの楽曲を志村けんさんファミリーで新たに歌ったこともありました。本当に楽しくて一生懸命踊ってましたね。
そんな今まで見せたことのない自分の姿を見て、おじいちゃんおばあちゃんからお子さんまで笑って喜んでくれて、街でも声を掛けていただいたりして、本当に幸せでした。ただ、水着姿やレオタード姿になるのはめちゃくちゃ恥ずかしかったです(笑)」
あまりの恥ずかしさから、意を決した松本は、一緒にレギュラー出演していた石野陽子と2人で志村さんに直談判した。
「陽子ちゃんと2人で志村さんの楽屋に向かいました。ちょっとドキドキしながら『すみません!』と言ったら、志村さんが『ん? どうした?』という顔でこちらを見てきたんです。『水着とかレオタードのコントはちょっと恥ずかしくて……』と言うと、志村さんがニヤッと笑って『そう、分かった』と言って、私たちの意見を聞いてくれました。陽子ちゃんと『よかったね!』と言って楽屋を出た思い出があります」
志村さんが旅立って、はや6年が経つ。今でも志村さんの思い出は尽きない。
「本当に感謝しかなくて、それ以上の言葉が見つかりません。歌手としてすごく悩んでいた時期に私を救ってくださった方で、見ている人を楽しませるためにいつも一生懸命だった方でした。普段はとても物静かで、本とか映画とか音楽とか、いろんなものをチェックされていました。
スタジオに入るとスイッチが入って、一つひとつの仕事にすごく丁寧に向き合っていたのかなって感じました。たとえばセットひとつとってもちょっとでも違うと思ったら、納得いくまで変えていましたね。そういう見えない努力の積み重ねと、やっている側の私たちも楽しく自由にできる環境をいつも作ってくださった。志村さんとは楽しい思い出しかありません」
「志村けんのだいじょうぶだぁ」降板後の1992年、当時ヤクルトスワローズの内野手として活躍していた笘篠賢治さんと結婚し、長らく芸能活動から離れることとなる。
***
第3回【58歳・松本典子が30年ぶりにステージに立った理由 ヤクルト・笘篠賢治氏との電撃結婚、3人の息子、そして保育園勤務8年目の今】では、松本が芸能活動を再開した理由などを語っている。
[2/2ページ]

