人の眼の機能を拡張する空前絶後の昆虫写真を通して世界の謎に触れる――「養老孟司と小檜山賢二の虫展」番外編

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 対象物の全てにピントを合わせる深度合成技法で昆虫写真の新たな可能性を切り拓いた小檜山賢二氏の作品と、解剖学者で大の虫好きとしても知られる養老孟司氏の言葉を組み合わせた異色の展覧会「虫展」が東京都写真美術館で開催されている。この展示は「自然を見る時にどう見たらいいか、その視点を提供する試み」だと話す養老氏に、小檜山氏の昆虫写真が私たちに問いかけてくる「見ることの難しさ」について聞いた。

簡単に何かをわかった気になってはいけない

「小檜山さんの写真を初めて見た時、本当に仰天した」

 開口一番、養老孟司氏はそう話す。小檜山賢二氏の作品は全て、ピント位置を変えながら同じ対象を何度も撮影し、各写真のピントが合った部分だけをコンピュータで切り出して合成する「深度合成」で制作したものだ。通常、わずか数ミリから数センチの虫を接写撮影してもピントは体の一部分にしか合わないが、深度合成を駆使すればあらゆる細部にピントの合った昆虫写真を作ることができる。これを養老氏は「人の眼の機能の拡張」と言い表す。

「見ることは簡単ではありません。あるものをじっくり見続けて部分が拡大して見えてくると、全体がぼやけます。全体にピントを合わせられるカメラはない。小檜山さんの作品がすごいのは技術の力でそれを成し遂げ、私たちが肉眼では見ることのできない世界を可視化してみせたからです」

「虫展」では、わずか2、3ミリの虫の体表の複雑な模様や構造の全てを明らかにした巨大な昆虫写真が数多く展示されている。養老氏によれば、これらの写真は「そもそも世界のありとあらゆるものが同じように精密で細かいものなのだという事実」を私たちに突きつけてくるという。

「多くの人はそのことに気づけません。普段、私たちがいかに世界を雑に、乱暴に見ているかを考えてみてください」

 例えば、と養老氏が挙げたのは、テレビの報道番組やワイドショーで映し出される病原体などのごく小さな存在の拡大画像だ。コロナ禍やインフルエンザの流行期などには、画面の半分にウイルスの拡大画像、もう半分にアナウンサーや医師が映っているシーンが定番だが、これに強い違和感を覚えるという。

「人間はウイルスの数百万倍、数千万倍の世界で生きています。仮に、テレビで拡大されたウイルスと同じ倍率で隣りに映っている人間を拡大したらどうなると思いますか? 足を地球に置いたら頭は月まで届いてしまう、それほどの超巨大生命体ということになるんです。微細なウイルスは人間の体というとんでもなく広大なスケールの空間で当たり前に活動しているわけですが、テレビで拡大画像が平然と映し出されると人はついそのことを忘れ、『ああ、コロナウイルスというのはああいうものか』と思ってしまいます」

 物事のごく一部分を精密に拡大しただけで何かをわかった気になる、これがよくないと養老氏は指摘する。

「ある部分を百倍拡大し観察しても、実は全体のことは何一つわからない。むしろ、虫も人間も世界全体も同様に複雑で精緻な構造をしていることに思い至り、謎が百倍深まるんです。だから、何かを詳しく見たり知ったりしたからといって、わかった気になってはいけない。昆虫たちの微細な世界を可視化した小檜山さんの写真は、まさに私たちにそのことを思い知らせてくれる教訓と言えます」

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