「切なくなるから歌の番組は見なかった」 美川憲一が明かす、パーキンソン病との闘い 復帰後「初めてステージで泣いたわ」
初めてステージで涙
その願いがかない、1カ月半の入院生活を終えた12月に、愛知・豊田でディナーショー、長崎でもコンサートをしカムバックを果たす。
「お客さんが“お帰りなさい”と言ってくれたときは、初めてステージで泣いたわ。それから、義父がパーキンソン病で引きこもっているというファンの方がお手紙をくれたの。放っておけなくて、電話したのよ、“美川です”って。向こうは驚いていたけど、“アンタ、お義父さんを連れてコンサートに来なさい!”って言ったのよ。4月4日に福島県の郡山で開いたコロッケとのジョイントコンサートに、その方が車いすで来てくれてね。私が一生懸命歌う姿を見て涙を流してらしたわ。コンサート後、“自分に負けたらダメよ”って握手したわ」
すっかり元気そうに見えるものの、今なお週に2回、リハビリに通っている。
「下半身が弱っているので、重りを持ってスクワットをしています。最初は3キロの重りでキツかったけど、今は10キロよ。復帰したいっていう思いが原動力ね。おかげさまで、太ももがカチカチになったわ」
歌詞が今の私そのもの
難病を抱えているとはいえ、今は家にこもる日はほとんどない。遅めの朝食を取り終えたら、ショッピングに出かける日々だ。
「パーキンソン病になると欲がなくなるって言うけど、洋服とかバッグとか、物欲は尽きないわ。昔から好きなルイ・ヴィトンに今もハマっていて、いつも表参道のヴィトンに吉野(伝説のゲイバー「吉野」のママ、95歳)と行っては、ついつい買っちゃって。先日予約した夏バージョンのバッグが5月下旬には届く予定で、それが今の楽しみ。見たい映画がたくさんあるけど、映画館は暗いから転んだら大変じゃない。『国宝』がネットフリックスで配信されるのを待っているのよ」
そんな美川は、サインを書く際にいつも色紙に添える“しぶとく生きる”という言葉を大事にしているという。これは相手が家庭を持っている男性だと知らずに美川を身ごもった実母が、口癖のように言っていた言葉だ。
「実母からは、“あんたは世に出なかったはずの子なんだから、頑張って、しぶとく生きるのよ”って育てられたの。その言葉がずっと私の人生に影響しているし、入院中もその言葉を思い出して自分を奮い立たせていたわ。パーキンソン病は完治しない病気だけど、いつか薬ができるかもしれない。他の病気を抱えている人にも、夢を持って、諦めないでと言いたい。気持ち次第で免疫力も変わるんだからってね」
復帰後、各地でジョイントコンサートを開催してきた美川は、今後の目標に単独コンサートを掲げる。
「9月に計画しているのよ。それまでに一人でしっかり動けるように闘っていきたい。時々、病気のせいで歌詞が出てこないけど、それも今の私。2013年に出した『生きる』という歌があるんだけど、以前は暗い歌だと思ってあまり歌わなかったの。でも、歌詞の内容が、今の私そのものなのよ。くよくよ考えたってしょうがないじゃない。死ぬ時は死ぬんだから。これからも、しぶとく生きていくわよ!」





