何かと“批判”を浴びがちなプロ野球の審判だが…「ぜひ球場で審判の動きを見てほしい」 ラジオ実況のベテランが審判を紹介する際に必ず“さん付け”する理由

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 東海ラジオで35年間、プロ野球実況に従事してきたフリーアナウンサーの村上和宏さんは、審判を紹介する際、必ず「さん」付けで実況することで知られます。他のアナウンサーでは聞いたことがないこのスタイルはなぜ生まれたのか? 前回に続きプロ野球審判の世界を村上さんが解説します。

二度の球界再編問題

 これまで、ルールや審判のことを述べてきましたが、今回はまず、日本のプロ野球での審判関連の歴史を見ていきましょう。

 戦後に復活した職業野球(プロ野球)は、GHQが敗戦後の日本に数少ない娯楽として奨励しました。戦前は学生野球に押され、決して人気のあるスポーツではありませんでしたが「赤バット」の川上哲治(巨人)、「青バット」の大下弘(東急)など、人気選手の登場もあり、その人気が急上昇しました。

 1949(昭和24)年、巨人オーナー・正力松太郎氏が、当時は5球団だった球団数を増やし、MLBにならい、将来的に2リーグ制移行の構想を打ち出すと、新規参入希望が殺到する事態となりました。あまりにも急激な参入希望の増加に正力氏は方針を変え、10チームでの1リーグ制を目指しました。詳細は本題からそれるので省きますが、それから既存球団、新規参入希望球団入り乱れての駆け引きが続き、49年末セントラル、太平洋(今のパシフィック)の2リーグ分裂という結果に至りました。

 それまでは「日本野球連盟」(プロ野球の組織で、現在の社会人野球を統括する日本野球連盟とは全く別組織)に所属していた審判は、2リーグ分裂に伴い、セ・パそれぞれのリーグが雇用する形に変わりました。

 この状況が変わったのが、2004(平成16)年に起きた「球界再編問題」でした。

 またしても巨人主導で、1リーグ制移行をもくろむ経営側に選手会側が猛反発。日本初のプロ野球のストライキが敢行されるなど事態は悪化し、結局、世論にも押し切られる形で再編案は頓挫しました。

 この時、経営側と選手会側が問題解決に向けた話し合いの中で生まれたのが、今日でも続く「交流戦」です。

 交流戦の誕生により、試合では両リーグの審判が一緒に担当するため、各リーグ所属のまま審判部がコミッショナーのもとに統合することになりました。2010(平成22)年にはリーグで異なっていた審判のユニフォームが統一され、翌年にはNPB審判部として完全に一つの組織となり、元の所属に関係なくセ・パそれぞれの試合にランダムに派遣されるようになって現在に至っています。

 セ・パ各リーグに所属していた50年以上もの間、審判の採用や育成は、それぞれで行っていました。2013(平成25)年、NPBアンパイヤスクールが設立され、翌年以降の審判員採用は、このプログラム受講者のみとなりました。

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