なぜ「令和ロマン」は熱心なファンを怒らせたのか 10万円高額ライブで露呈した“致命的な見落とし”

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生まれた失望

 だからこそ、「ネタバレになるからリハーサルを見せられない」という理由で公開リハーサルを中止したのは、購入者からすれば拍子抜けするものだったはずだ。公開リハーサルを見せればネタバレになる可能性があることは、企画段階から当然想定できたはずだ。

 実際、ファンの側にも「本編とは別の内容を見せるのではないか」「どのようにリハーサルを公開用の体験として成立させるのか」という期待があっただろう。

 さらに、令和ロマンの2人だからこそ、ファンがその部分に期待したという側面もある。彼らは単なる実力派芸人ではない。緻密な戦略を立てて「M-1」を勝ち上がり、漫才そのものを分析的に語り、賞レースやテレビやファンビジネスの構造を人一倍理解しているように見えるコンビだったのだ。

 特に高比良くるまには、競技としての漫才、産業としてのお笑い、コンテンツとしての自分たちを冷静に分析している知性派のイメージがあった。令和ロマンのファンは、ただ面白い漫才を見たいだけではなく、「この人たちはお笑い界の仕組みそのものをアップデートしてくれるのではないか」という期待を抱いていた。

 だからこそ、今回の対応はより大きな失望を招いた。普通の芸人ならば「運営が甘かった」で済んだかもしれない。だが、令和ロマンの場合は「そこまでわかっているはずの人たちが、なぜこれをわからなかったのか」という失望が生まれた。彼らは「M-1」の勝ち方や漫才の見せ方については鋭い感覚を持っている。

 一方で、ファンが高額な金を払うときの感情、特典が削られたときの屈辱感、購入者が「後出しで条件を変えられた」と感じる心理については完全に読み違えていたように見える。

 重要なのは、怒っている人々の多くが、もともと令和ロマンに強い関心を持っていた層だということだ。くるまはこれまでにもオンラインカジノでの違法賭博など、数々の不祥事やトラブルを報じられてきた。ただ、そういった問題で彼を批判していた人の大半は、令和ロマンに関心のない層だった。全く興味のない外野が騒いでいるだけなら、時間が経てば沈静化する。

 しかし、今回は性質が違う。高額チケットを買うような人は、単なる通りすがりの一般人ではなく、彼らの成功を自分の喜びとして受け止めてきた熱心なファンである。その人たちが怒りの声をあげているのは、自分が損をしたからだけではない。人一倍応援をして、期待をしていたからこそ、そこに強い失望を感じているのだ。

 令和ロマンは、漫才師としては間違いなく突出した存在である。前人未到の「M-1」連覇という結果は、実力、才能、戦略、胆力、運のすべてが揃っていなければ成し遂げられない。彼らはお笑い界の新たな主人公になり得るコンビである。しかし、だからといって何をやっても無条件に許されるわけではない。むしろ、期待されている存在だからこそ、失敗したときの反動は大きい。

 今回の炎上は、彼らが次の段階に進むために避けて通れない課題が浮き彫りになった出来事である。芸人として笑いを取ることと、ビジネスとしてライブを成立させることは別物である。その実力に見合うだけのビジネス的な感覚が備わっていなければ、ファンは離れていってしまうことになる。

 騒動の根本にあるのは、特典中止そのものに対する不満よりも「何でもわかっているはずの令和ロマンが、ファンの気持ちだけはわかっていなかった」という問題である。ここで誠実な軌道修正ができるかどうかが、彼らが本当にお笑い界の新しい基準を作る存在になるのか、時代の徒花で終わるのかを分けることになるだろう。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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