90年代に人気を博した霊能力者「宜保愛子さん」 物議を醸しつつも支持された理由「世の中が必要としていたのかもしれない」

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 UFO、心霊写真、超能力……80~90年代の日本で一大ブームとなった「オカルト」。その1ジャンルとされた霊能力で90年代初頭に“大スター”となった人物といえば、宜保愛子さんだった。当時の宜保さんは50代。物腰がやわらかく、物言いも丁寧な“普通の50代女性”の姿は、逆に個性的にも見えたものだ。そんな宜保さんが死去したのは、2003年5月6日のこと。「週刊新潮」のバックナンバーで宜保さんを振り返る。

(以下「週刊新潮」2003年5月22日号掲載「墓碑銘」を再編集しました。文中の肩書き等は掲載当時のものです)

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普通のおばさん然とした温かみ

 40冊前後の著作があわせて数百万部も売れ、テレビの特番は35%もの視聴率を記録。だが、宜保愛子さんが“霊能者”としては異例なほど支持されたのは、メディアの舞台裏で彼女を支えた人たちに聞けば、“霊視の力”によるより、その風貌や語り口に、妙に説得力があったからだという。

 たとえばこんな話。

「フジテレビの特番に出てくれる霊能者を探していた時のことです。霊能者と呼ばれる人に随分と会いましたが、お茶の間に受け入れられるためには、相談者や視聴者が癒やされる、人間的な温かみがないといけない。その点、宜保さんには普通のおばさん然とした温かみがありました。私は彼女の人間性に惚れて、出演をお願いしたのです」(放送作家の新倉イワオ氏)

 テレビ向けのサービス精神も旺盛だった。

「生放送で、宜保さんが“見えます、向こうに”って指差したんですが、すぐCMに入ってしまった。ところが、CMが終わるとまた同じところを指して同じことを言ってくれる。霊はCMの間も待ってくれるのかって思いましたけど」(芸能リポーターの梨元勝氏)

激しいバッシングを受け人気凋落

 伝えられている経歴はこうだ。1932(昭和7)年、横浜市生まれ。3歳の時に焼け火箸が左眼に当たってから、視力が落ちた左眼の裏に何かが見えるように。爾来(じらい)、近所の心中事件や火事を次々に当て、“霊感少女”と噂になる。

 21歳で腎臓病を患ってから“霊能力”が消えるが、38歳で戻る。その間、結婚して2男1女をもうけ、自宅で英語を教える傍ら“霊視相談”に乗っていた。そして、テレビ出演等に繋がるのである。

 だが、持てはやされたのは1994(平成6)年まで。人気凋落のきっかけは、活字媒体としては宜保さんを真っ先に売り出した女性誌が、単行本出版をめぐるトラブルを契機に、宜保さんたたきのキャンペーンを張ったこと。そして、早稲田大学の大槻義彦教授らが、“霊視”の非科学性を強く訴えたことだった。

 やはり、科学者の立場から宜保さんを批判した、立命館大学の安斎育郎教授がいう。

「私の大学では超能力や心霊現象を信じる学生が6~7割もいました。子供はテレビなどで霊能力などをそれらしく扱うと、簡単に霊視に命運をゆだねたり、教えに主体性を預けたりする。そうやって非合理な存在に心を寄せることが、オウムなどに身を寄せる人が増えることに繋がるのです」

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