「なぜ私には厳しい記事ばっかりなんですか!」 「衣笠祥雄」が涙を浮かべて抗議した「山本浩二」との“差” ライバルへの思い【監督になれなかった名選手たち】

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付いて回った暴れん坊のイメージ

 ただ、衣笠の怒りはもっともだった。私は衣笠や江夏の記事では遠慮なく書きまくったが、個人的に親しい同級生の山本浩二には“配慮”していたからだ。

 浩二も衣笠に負けないぐらいのヤンチャで、“飲む・打つ・買う”の三拍子が揃っていた。若手のエース格だった池谷公二郎や北別府学らを引き連れては、銀座や六本木を朝まで飲み歩いており、私もよく同席した。

 古葉監督は「サチは1人で飲みに行くし、グラウンドでは結果を出すから」と門限破りを黙認していたが、浩二に関しては言いたいこともあったようで、「おい吉見、浩二にも、サチみたいに1人で飲みに行くように言っといてくれ」などと頼まれることもあった。

 にもかかわらず、浩二は美化された姿が一面トップを飾り、衣笠にはいつまでたっても暴れん坊イメージが付いて回った。スポーツマスコミ全体がそうだった。今考えれば、こうした積み重ねが衣笠の繊細な心を傷つけてしまったのかもしれない。

 同じ広島のスターでありながら扱いに差が付けられるのは、「自分がハーフで高卒だからではないか」という思いもあったはずだ。当時の社会はまだまだ差別には鈍感で残酷だった。もちろん、私に差別の意識などまったくなかったが、記者としては決してフェアだったとは言えず、衣笠はそんな空気を敏感に感じ取っていたのだろう。

「浩二さんには勝てない」

 引退後の衣笠がこう語るたびに複雑な思いだった。

 それでも不満を声高に叫ぶことなく自らを律し続け、国民栄誉賞に輝いた衣笠は、私の知るどんなスター選手よりも洗練された優しさを持つ男だった。

江夏の21球

 この頃、衣笠がチーム内で親しくしていたのが、南海ホークスから移籍してきた江夏だった。

 筆者が江夏に話を聞きに行くと「おまえはブチ(田淵)と浩二(山本)を書いて飯食えばええやろ!」と一喝されることが多かった。それでも、「原稿を書く以上、本人のコメントを平等にとらないと読者に失礼なんだ」と粘り強く迫れば、ちゃんと質問には答えてくれる。そんな男だった。

 それは衣笠も同様で、圧倒的な実力を持ちながら世間からはヒール役を背負わされることの多かった2人のウマが合ったのは必然だったように思う。

 2人を語るうえで欠かせないのが、79年の日本シリーズで、近鉄バファローズと繰り広げた有名な「江夏の21球」だろう。

 ブルペンで投手を用意するよう指示したベンチを見た江夏が「ここで代えられるくらいならユニホームを脱いでもいい」とキレかけた。そこに衣笠が「オレもおまえと同じ気持ちだ。おまえが辞めるならオレも辞めてやる」と声をかけた。冷静さを取り戻した江夏は一死満塁からのスクイズを見破ってピンチを切り抜けてみせた。

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