「なぜ私には厳しい記事ばっかりなんですか!」 「衣笠祥雄」が涙を浮かべて抗議した「山本浩二」との“差” ライバルへの思い【監督になれなかった名選手たち】

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「平等に行きましょうよ」

 死闘の末、カープは初の日本一に輝いたが、私にとってのクライマックスは試合終了後に待っていた。

 デーゲームで日本一を決めた広島は、地元で祝賀会を行うため、試合終了後にすぐ新幹線に乗り込んだ。他紙の番記者らと共に箱乗りした筆者は食堂車で浩二や池谷を囲み、ビールで乾杯していた。

 そこに入ってきたのが衣笠と江夏だ。同席していた誰かが「一緒に祝おう!」と言いかけたが、「この期に及んで差をつけるのか!」と江夏が鋭い形相でにらみつけ、衣笠も「梨元さん(私のあだ名)、平等に行きましょうよ」と口にした。語りかけるような柔らかい口調ではあったが、心臓が張り裂ける思いだった。

 2人ともそのまま食堂車を出て行ってしまった。あの苦い光景は今でもはっきりと覚えている。

 引退後も2人の友情は続いていた。江夏が覚醒剤に手を染めて逮捕(93年)され、実刑判決を受けた際も、衣笠だけは時間があれば刑務所を訪れ、盟友を激励し続けたという。

「サチ! いい友を持った。俺の宝物だった。すぐに追いかけるから待っていてくれ。野球談義しよう」

 通夜と葬儀には、合掌する江夏豊の姿があった。

 ***

【前編】では、その生い立ちゆえに衣笠が抱いていた差別とコンプレックスについて詳述している。

吉見健明(よしみ・たけあき)
スポーツジャーナリスト。1946年、東京生まれ。法政一高、法政大で野球部に所属し、同期・田淵幸一の控え捕手を務めた。同じく同期の山本浩二、明治大・星野仙一らとも親交を深める。卒業後は銀行勤務などを経てスポーツニッポンの記者となり、野村克也氏の南海監督解任などをスクープする。報道部副部長を務めた後、1991年に独立し、以後はフリーのスポーツジャーナリストとして活動している。

デイリー新潮編集部

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