すさまじい「人気」は占いブームだけでは説明できない…2000年代の“異常な熱狂”、テレビが作り上げた「最後の怪物」
逃げ場のない言葉
彼女は相談者の悩みを受け止める優しいカウンセラーではなかった。むしろ、迷っている相手に対して、逃げ場のない言葉を投げつける存在だった。「あなたはこうしなさい」「それは間違っている」「このままだと地獄に堕ちる」といった断定の強さが、視聴者にとっては一種の快楽になっていた。
テレビでの振る舞いは占いというよりも「裁き」に近かった。彼女の番組では、芸能人や一般人が悩みを持ち込み、それに対して人生訓を授ける。だが、その構造は単なる人生相談ではない。そこには、相談者を前にして、視聴者が一緒にその人物の生き方を点検するという公開審問のような要素があった。
家族、結婚、仕事、礼儀、先祖供養、男女関係といったテーマを、独自の道徳観で裁いた。その言葉はしばしば乱暴で、現代の感覚から見れば問題含みのものも多かった。しかし、当時のテレビは、その危うさを含めて彼女を「強いキャラクター」として利用していた。
単なる毒舌を売りにしたタレントならほかにもいる。だが、彼女の場合、その毒舌が「運命」「因果」「家族道徳」と結びついていた点が特別だった。占い師という権威を利用して、真正面からは反論しづらい空気を作っていた。タレントとしての強みは、占いの神秘性と、テレビ的な毒舌芸と、昭和的な人生訓が一体化していたところにあった。
あのキャラクターは今の時代にはもはや通用しそうもない。一介の占い師が偉そうな口調で他人を裁くような真似をすれば、SNSなどで批判が殺到するのは目に見えている。いま振り返ると、あれはテレビが1人の強烈な人物を国民的な人気キャラクターに仕立て上げることができた最後の時代だったのだ。
だが、単純に「昔のテレビはひどかった」と断じるだけでは、この現象の本質は見えてこない。人々はだまされていたのではなく、彼女の断定口調を必要としていた。迷い続けることに疲れた社会が、迷わない人物を求めた。それが巨大なムーブメントを作っていたのだ。
現代はあらゆる権威が疑われる時代である。テレビも、占いも、家族道徳も、かつてほど素朴には信じられていない。しかし、その一方で、人々が不安の中で強い言葉を求める構造は変わっていない。
むしろSNS時代になったことで、別の形で「断定する人」「裁く人」「人生を一刀両断する人」が支持を集めている状況がある。細木数子は過去の怪物であると同時に、現在にも通じる「断言するカリスマ」の原型なのである。
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