「徹子の部屋」放送開始50周年を“珠玉の秘話”で振り返る…トレードマークの「たまねぎヘア」には“プロ意識に根ざした理由”があった

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100円の衣装で出たことも!

 さて、今では知られる「徹子の部屋」の2大基本方針は、以下となる。

・スキャンダル、ゴシップについては聞かない。
・基本的に、編集はしない。

 前者については、「そういうことに触れると、相手も心を開いて話してくれないから」という徹子の配慮もあるが、もう一つ、テレビ放送開始当初から活躍している徹子ならではの卓見もあった。

〈それを聞くと番組が長続きしない〉(毎日新聞1995年12月3日朝刊)

 後者は、出来るだけゲストの素顔をそのまま見せたいという、番組の何よりの志向の表れでもある。とはいえ、高倉健が出演した際(1980年と1988年の2度)、幾度か数十秒から1分以上沈黙してしまい、それをそのまま映し続けたのは有名だ。うち1つは、「好きな女性を追いかけて上京したが、お金も稼がなきゃいけないので俳優になった」という、いわば俳優・高倉健誕生の秘話と言っていいトークの際、徹子が質問した時のことだった。

「お金が欲しいというのは、その女の人と生活するためだということ?」

「(自分でも疑問の体で)そうですねえ……」

「(それとも)生きるために?」

「……。(沈黙の後、)幸せになるためっていうんですかね」

 今では、無口で思慮深い健さんがよく出た名場面とされるが、こちらは、テレビ草創期から、それこそ舞台や生放送のドラマで女優としても活躍して来た徹子の眼識も活きていた。

〈自分が俳優で良かったと一番思うのは、相手の目を見て、今は『考えているのか』、それとも『答えたくないのか』を判断出来ること。芝居では、相手がセリフはわからずに混乱しているのか、それとも芝居なのか、見定めないといけないから〉(毎日新聞。2025年12月2日夕刊)

 ところで、「徹子の部屋」と言えば、徹子が毎回衣装を変えることでも有名。得てして豪華な仕様のそれらだが、長き歴史を誇る番組だけに、100円ショップで買ったワンピースを着用したこともある(2001年5月22日放送分)。1990年代のバブル崩壊とデフレを受け、不況期の成長業界として、100円ショップが世に浸透して来た時期だった。

 一方、旧知の小沢昭一がゲストの際は、互いにコスプレで競演。CAとパイロット、ナースとドクター、巫女と神主、ヤマンバギャルとギャル男、果てはセーラームーンとクレヨンしんちゃんなどなど。こちらは2012年に小沢が没するまで、計15回続いた。きっかけは小沢の初出演時、徹子が「学生時代の話をしたい」とリクエストしたため(1976年)。よってその際は、互いにセーラー服と学生服で登場。以降に至ったのである。なお、セーラー服については、こちらを正装としていたお笑いタレント、桜塚やっくんの登場時も着用していたことを付記しておきたい。

 他にも、デーモン小暮(聖飢魔II)の出演時には、ロックミュージシャンや魔女の恰好を、ベストジーニスト常連の草薙剛相手にはジーンズ姿で、「『ザ・ベストテン』が大好きだった」と言う平井堅には、同番組の最終回で着た衣装を再び披露した徹子。ファッション面でも毎回サービス精神旺盛な理由は、番組スタート当時に届いた、意外な投書にあったという。

〈耳の不自由な視聴者から「毎回デザインを描いて楽しんでいます」と思わぬ反応があったため〉(朝日新聞。2001年1月30日)

「徹子の部屋」で着た衣装は毎年、チャリティー・バザーに寄付されている。

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