80周年を迎えた長寿番組「NHKのど自慢」秘話 鐘を鳴らす奏者は「審査と無関係」なのに…不合格を出すと“お尻や背中をつねられる”ことも
美空ひばり、北島三郎、島倉千代子に無くて、坂上二郎、テツandトモのトモ(石澤智幸)、高橋愛(元モーニング娘。)にあるものは何だろう?
答えは、「NHKのど自慢」での合格歴。出だしの大御所3人は、アマチュア時代に出場も、不合格に終わっている。意外過ぎる事実だが、逆に言えば同番組が、必ずしも歌の上手い下手だけで合否を分けていないことになるだろう。そんな「NHKのど自慢」が開始されたのは、1946年の1月。今年80周年となる国民的番組の裏側を探りたい(文中敬称略、年齢は大会出場当時、前後編の前編)。
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初期は声帯模写や漫談も審査対象!
「のど自慢」が始まったのは1946年1月19日。発案したのは大作曲家、三枝成彰の父であるNHKディレクターの三枝健剛で、きっかけは、まさに前年に終結した戦争中の出来事にあった。軍隊での息抜きで、たびたび「演芸会」がおこなわれており、全国津々浦々から集まった兵士たちが、普段の規律を脱ぎ捨て、方言丸出しで民謡や芸を披露する。それが三枝にはたまらなく活き活きと映り、楽しかったのである。そこから「素人にマイクを開放してはどうか?」というアイデアに至ったのだった。
最初はラジオ放送のみだったが、いざ、第一回の予選を告知すると、当日は900人以上が会場に列を成した。余りの長蛇の列に、配給と間違えて並ぶ人もいたという。当初の番組タイトルは、「のど自慢素人音楽会」だったが、好評を受け、翌年には当初の三枝のコンセプト通り、声帯模写や漫談も取り入れた「のど自慢素人演芸会」に変わった。
ところが同時に「素人の歌を聴かせるのは如何なものか?」との世評も出始め、NHK側は終了を決意。開始から2年後の3月をメドに「全国大会」を開き、一旦終わらせるはずが、こちらに3万人を超える参加希望者が殺到。観覧入場券に何倍もの値をつけるダフ屋も登場し、図らずも人気は証明され、続行の運びとなった。1953年からはテレビとの同時放送も始まり、現在に至る。
ちなみに、スタート当時の放送はGHQの管理下に置かれていたが、この「のど自慢」に関しては、日本側の企画が全面的に認められて制作に至っていた。つまり、「のど自慢」こそ、初の純国産番組という評価も高い。GHQが推進していた民主主義思想と完全に合致していたためと考えられ、前出の三枝の発言もある。
〈『米国にもない番組』とほめられたくらい〉(朝日新聞。1995年8月23日付夕刊)
GHQの人員も、会場に観に来ては楽しんでいたという。一方で、予選では何度歌われても、一度も本選では歌われたことのないジャンルもあるという。
それは、軍歌だった。
合否に鐘を採用した理由
放送当初は例の鐘はなく、アナウンサーが口頭で「合格です!」「もう結構です」と合否を伝えていた。ところが後者を「大変結構です」という肯定の意味に勘違いする参加者が続出し、これまた放送翌年より、わかりやすい鐘の登場となった。
その合否の審査は、NHKの担当者のもと、別室で行われる。これは、会場にいて生で聴くと、臨場感や盛り上がりに左右されてしまうからで、あくまでテレビを通じて観た場合にどうなのかを審査基準にしているためだ。打たれる鐘の数(1~2つ=不合格、3つ以上=合格)もその都度、無線で鐘奏者に指示されるが、非常に多い参加者及び視聴者の勘違いが、以下である。
「鐘奏者が、合否を決めている」
哀れ、鐘奏者は、不合格者に睨まれるのはもちろん、すれ違いざまにお尻や背中をつねられるのは日常茶飯事。番組終了後、見知らぬ少女が待っていたので何かと思えば、「彼氏に恥をかかせた」と激怒されたという。
一方で、鐘の少なさをバネにしたのが、冒頭の北島三郎だ。高校2年の際、函館でおこなわれた大会で「落葉しぐれ」を熱唱したが、鐘は2つ。すると、司会の宮田輝が言った。
「良い声して、学生さんですか? お上手でしたのにねえ……」
この一言で、「ここから努力して、歌手を目指すという道もあるかもしれない」と、逆に思ったという。「合格していたら、絶対にそこで満足していた」と事あるごとに回顧する北島の、鐘2つへの感謝は尽きない。
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