「24時間テレビ」の単なる延命策に終わるのか 「内村光良」初登板の裏にある日テレの“思惑”

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「座長」の立場

 内村は「世界の果てまでイッテQ!」の司会を務めており、日本テレビの視聴者には馴染み深い存在である。しかも、番組内では、タレントやスタッフの挑戦を見守る「座長」のような立場にある。自分が主役になるのではなく、他人の奮闘や失敗、成長を受け止め、それを笑いや温かさに変えていく。これは、今の「24時間テレビ」が欲しているイメージとほとんど一致している。

 現在の「24時間テレビ」に必要なのは、番組の理念を声高に語る人物ではない。「この番組はすばらしい」「さあ、感動してください」と前に出るような司会のやり方は、かえって反発を招く。

 必要なのは、番組の持つ古さや危うさをやわらげながら、それでも人間の善意やつながりの大事さを伝えてくれる人物である。内村光良は、その微妙な役割を担える数少ないタレントだ。

「24時間テレビ」は、昭和から平成、令和へと続いてきた日本のテレビ文化の象徴である。そこには、テレビがまだ社会全体を包み込む力を持っていた時代の残像がある。だが、今の視聴者はそこまで一枚岩ではない。番組の善意を信じたい人もいれば、その構造に違和感を覚える人もいる。感動したい人もいれば、感動させられることに疲れている人もいる。

 内村光良の起用は、その分断された視聴者の感情をもう一度つなぎ直そうとする試みである。彼は強い言葉で番組を正当化するのではなく、画面の中に穏やかな信頼感を作ることができる。日本テレビが期待しているのは、まさにその力だろう。

 内村は「24時間テレビ」を救えるのか。それは今年の番組を見てみるまでわからない。ただ、結局のところ、番組の信用を本当に回復できるかどうかは、司会者ではなく作り手の姿勢にかかっている。

 内村という誠実なイメージのあるタレントを起用したことが、単なる延命策で終わるのか。それとも、長年続いた番組が自らのあり方をアップデートするきっかけになるのか。今年の「24時間テレビ」が問われているのは、まさにその点なのだ。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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