「U-15日本代表」「センバツ出場」の高校球児が“医学部に現役合格”できた理由 高校に入学した直後のテストでは「数学の順位がクラスの下から2番目で……」
甲子園の声援が凄まじかった
センバツ甲子園に出場したチームは、池谷投手の好投もあって、初戦で岩手県の不来方(こずかた)高校に勝利を収めると、続く2回戦では後に優勝を掴む大阪桐蔭高校と対戦。同学年に徳山壮磨投手(元、横浜DeNA)や泉口友汰(現、巨人)。そして翌年に春夏連覇を成し遂げる根尾昂(現、中日)柿木蓮(元、日本ハム)、横川凱(現、巨人)、藤原恭大(現、ロッテ)ら「最強世代」が1学年下に控える強豪を相手に、エースの池谷が打ち込まれて初回に6失点を喫す。その裏の攻撃で同点に追いつき、一時はリードを奪ったものの、最後は大阪桐蔭高校が実力差を見せつけて8対11で敗れ、惜しくも涙を飲んだ。
「僕らの試合が、清宮幸太郎選手(現、日本ハム)を擁する早稲田実業高校の後だったこともあって、観衆はほぼ満員で、甲子園に響き渡る大歓声の迫力が凄まじすぎて、それ以外のことをあまり覚えていないんです」
竹内氏は3点リードを許した9回途中からマウンドを任されると、1奪三振無失点の好投を見せて味方の援護を待つも、得点を奪えず。2回戦敗退で大会を後にした。
その後、春の雪辱を果たすべく臨んだ夏の県予選は、藤枝明誠高校の前に準決勝で敗退。この年の夏に甲子園初出場を決めた新鋭に力及ばず、竹内氏の高校野球は幕を下ろした。
浪人も覚悟していた
「大半は野球が最優先の日々を送っていたので、勉強に関しては必要量の1割くらいしか取り組めていなかったように思います」
高校時代の3年間をそう振り返る竹内氏は、野球部を引退した夏以降は医学部を目指す受験生として、厳しい状況と向き合うことになった。
「当時の担任には、『もし現役に拘るのなら、旧帝国大学の一般学部ならば合格出来そうだけど、医学部は難しいかもしれない』と言われていました。僕自身も浪人を覚悟していましたが、『ただ試験を受けて不合格に終わるだけでは味気ないな』と思って、条件に合う推薦入試を探してみることにしたんです」
季節は猛暑が続く8月を迎え、既に一部は出願が締め切られている学校もあるなか、竹内氏は群馬大学医学部の推薦入試の情報を目にし、挑戦を決断する。
第2回【くふうハヤテの投手から医師に転身…リアルドクターK「竹内奎人」が「佐藤輝明」「柳田悠岐」との対戦で思い知らされた「軽自動車とスポーツカーくらいの差」】では、高校球児として活躍しながら、大学受験を経て医学部に進学し、医師としての道を歩む竹内圭人選手に、どのように受験を突破したか、また、大学時代の過ごし方、さらには今後について話を伺いました。










