まさかのトレンド入り…フジテレビ「上垣アナ」 “軽薄さ”と真逆「昭和の安定感」が視聴者に刺さった理由

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自分の言葉で語れるアナウンサー

 上垣アナの強みは、アナウンサーに期待されがちな「華」や「ノリ」よりも先に、言葉に対する慎重さや丁寧さと、古風なくらいの安定感が前に出るところにある。国語の教員免許を持っていて、言葉に対する繊細な感覚もある。昭和歌謡、AMラジオ、鉄道、俳句、地形図を見ながらの街歩きなどの渋い趣味をたくさん持っているところにも唯一無二の個性が感じられる。

「STAR」のスタッフも彼を起用した理由として「自分の言葉で語れるアナウンサー」と説明していた。実際に同番組でも、アーティストを必要以上に自分の色に染めようとせず、音楽番組の進行役として節度を保ちながら存在感を出していた。派手さはないが、これはテレビの司会者としては重要な資質である。

 特に音楽番組はアーティストが主役なので、司会者が目立ちすぎれば邪魔になる。ただ、逆に存在感がなさすぎても番組の印象が薄くなる。その中間を保つには、単なる技術ではなく、場の空気を読む知性と、言葉を雑に扱わない感覚が必要だ。彼が評価されたのは、視聴者が無意識に求めている「ちゃんと番組を進められる人」の像に正確に当てはまっていたからだ。

 ここで興味深いのは、上垣アナの魅力が、これまでのフジテレビが打ち出してきた「軽薄さ」のイメージとは別の方向を向いていることだ。かつてのフジテレビは、時代の先頭を走るノリの良さと勢い、バブル的な高揚感によってブランドを築いてきた。

 だが、現在のテレビに視聴者が求めているものは、浮ついたものではない。過剰に他人を傷つけず、内輪の悪ふざけにも陥らず、コンプライアンスの枠の中で楽しみを提供することだ。そんな時代、上垣アナはまさに理想的なテレビ司会者なのだ。彼の進行ぶりがSNSで「昭和の歌番組のようだ」などと言われていたのも、単なる懐古趣味ではなく、軽薄さに疲れた視聴者がそこに好感を持ったからだろう。

 もちろん、上垣アナ1人ががんばったからといって、フジテレビがすぐに窮地から脱することができるわけではない。ただ、組織が変わるとき、最初に必要なのは大きな変革ではなく、「この方向ならいけるかもしれない」と思わせる小さな徴候である。「STAR」で見せた上垣アナの司会ぶりは、まさにそういうものだったと言える。フジテレビが彼を単なる話題の若手として消費するのではなく、新しい局のイメージを象徴する存在として育てられるなら、これからの未来には希望が持てるかもしれない。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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