セクシー女優にして国会議員「チチョリーナ」が再評価される理由 サダム・フセインに平和と引き換えで“自身との行為”を提案したことも

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 かつて世界を騒がせたニュースの主役たち。「あの人は今」の海外版として今回紹介するのは、1987年にイタリアの国会議員となったセクシー女優、チチョリーナである。現在74歳。日本では90年代以降の消息が途切れているが、昨年は回想録の再出版で欧米のメディアを賑わせた。現在の彼女はいったいどのような存在なのか。彼女の生い立ちから現在までを振り返る。

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池田満寿夫氏も脱帽

 1988年4月、バブル景気に沸く日本に、子熊のぬいぐるみを抱いた金髪女性がやってきた。頭に花の冠を載せたこの女性は、「ピンクの爆弾」「愛の過激派」など数々の異名を持つイタリアの下院議員、イロナ・シュタラー(スターラ)女史である。当時37歳の彼女は現役のセクシー女優であり、「チチョリーナ」とも呼ばれた。

 チチョリーナがイタリア国会の下院議員に当選したのは1987年6月のこと。同年11月には主演したセクシー映画の“日本上陸”が決まり、「週刊新潮」にも初めて彼女の名前が登場したが、実はその何年も前から彼女をよく知る日本人がいた。絵画や版画など多方面で活躍した芸術家・池田満寿夫氏(1997年没)である。映画監督としては、自身の芥川賞受賞作を原作とした「エーゲ海に捧ぐ」(1979年)をヒットさせた。

〈「実は彼女、『エーゲ海に捧ぐ』に出てくれたことがあるんですよ。でも、まさか国会議員になろうとはね。すべての検閲に反対を唱えているらしいけれど、過激さではボクなんかとてもかないません」〉(「週刊新潮」1988年1月21日号)

 そんな彼女が来日した目的はHIV撲滅キャンペーンである。HIVに関する正しい知識の普及を会見で訴え、自民党議員とテレビで対談、チャリティーディナーショーで一曲披露……と、数々の予定をこなして離日した。

ハンガリーでは「スパイ活動」も

 この当時に「イタリアの国会議員」というフレーズが連呼されたこともあり、彼女を生粋のイタリア人と認識している人も多いが、出身国は異なる。

「彼女は1951年に現在のハンガリー、当時は共産主義のハンガリー人民共和国で生まれました。3歳のときに両親が離婚し、継父は内務省の職員。子供の頃からモデルとして活動しつつ、60年代にはメイドとしてブダペストの高級ホテルで働いていたそうです。そこに滞在していた米国人外交官の情報をハンガリー当局に流していたと、後に出版した回想録で告白したこともあります」(在ローマ記者、以下同)

 スパイ活動の真偽は定かではないが、共産主義国家の“抑圧された社会”こそ、過激な「チチョリーナ」を生む素地となったともいわれている。だが、彼女がそれを明言したことはない。20歳でイタリア人男性と結婚し1年で離婚。芸能活動を始めた時の立ち位置はセクシー系マルチタレントといったところだった。

「セクシー系のコメディ映画に出演するなどしていましたが、人気が出たのは70年代半ばのラジオ番組。『チチョリーナ』の別名が生まれた番組でもあります。歌手活動も始め、1978年にはイタリアの生番組で“初めて胸を見せた人物”となり、その翌年には『Cicciolina amore mio(チチョリーナ、私の愛)』という主演映画が制作されました」

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