「本当に嫌だ」「働きたくない」 復帰のマツコ、「感動」「予定調和」は一切ナシ 長年蓄積してきた「感情」が爆発のワケ

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番組側が依存

 マツコがテレビ界で果たしてきた役割の大きさや責任の重さを考えると、そこから逃げたいと感じるのも無理はない。彼女は、ただ番組出演本数が多い売れっ子であるというだけではなく、番組の空気を成立させる装置として長く機能してきた。

 マツコがいると場が締まり、ありきたりな企画にも批評性が生まれ、ぬるい会話にも緊張感が出る。裏返せば、それだけ「マツコがいること」に番組側が依存してきたということでもある。本人が一歩引いても番組が成立するのではなく、本人がいるからこそ成立している現場が多い。そういう立場に長く置かれた人間が、休養によっていったん現場から切り離されたとき、「もう戻りたくない」と改めて感じるのはむしろ自然なことである。

 マツコという人物の本質は、テレビの中にいながら、テレビの価値観を最後まで信じ切っていないところにある。売れ続けること、求められ続けること、出続けることを、成功者として無邪気に誇れない。むしろその虚しさや危うさを最初から見抜いている人である。

 だから彼女の発言にはいつも、自己肯定と自己否定が同居する。そのねじれがマツコを魅力的な存在として輝かせてきた。今回の復帰も、ありきたりな感動的な話にまとまらないからこそ、かえって彼女の存在の輪郭が明確になった。元気に復帰した人ではなく、元気なのに働きたくない人。そこにマツコの異様な正直さがある。

 結局のところ、今回の復帰発言ににじんでいたのは、「もう辞めたい」という本音そのもの以上に「辞めたいと思いながらも、まだ辞められずに戻ってきてしまう自分」への複雑な感情だったのではないか。そういう部分も含めて、多くの視聴者が彼女のことを魅力的に感じている。ただ元気に復帰したマツコではなく、戻ってきてしまった自分の業の深さまで引き受けて語るマツコに、より強く惹かれるのだろう。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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