美智子さまの嫁入りは「さんざんご辞退申し上げたんですが…」 「上皇后陛下」実父が語っていた「世紀のご成婚」への“本音” 「最後は当人同士が電話で話して…」 【結婚の儀から67年】

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礼宮さまの一言

 で、夫妻にとって、一年のうちで最も楽しい時は夏休みの軽井沢なのだそうだ。この時ばかりは宮内庁の干渉から逃れられるというわけなのか。ともあれ、英三郎氏の声は、お孫さんたちについて語る時、ひときわ弾む。

「世間の並からいうと、たしかにふだん自由に孫には会えない。が、その辺の気持はいいにくいし、難しい。でも、夏には会えるんですよ、軽井沢でね。あちらはプリンスホテル、私らは南ヶ丘の別荘。クルマで十分ほどの距離ですから、あちらからお招きも受けるし、来られもする。この時がいちばん水入らずになれる時だなあ。私どものことは、普通に、おじいさま、おばあさまと呼んでくれます。私の喜びは、あちらのお三人がそれぞれ立派になっていく。それが最高の喜びですね。礼宮さま(現・秋篠宮殿下)はユーモアに富んでいて、テニスもうまい。いつだったか、用賀にあるウチの会社のテニスコートにご家族を連れ出したら、ブレーしている私を見て、一言、“見事なフットワークだ”――あれには参った」

 しかし、英三郎氏は、美智子妃のご婚約当時を振り返り、いま改めてこう語る。

「私ども、もうさんざん、ご辞退申し上げたんですよ。それが最後は、ホラ、当人同士が電話で話して、決めちゃったわけ。しようがないよねえ。もしも、あの時、娘が皇太子妃になっていなかったら……。いまさらいったって始まらないから、考えたこともありませんがね」

 そして、ポツンとこう付け加えた。

「心労は、でも、家内にはいろいろあるだろうと思います。私自身は、とくに変わっちゃいませんけどねえ」

 ***

 この記事が掲載(1982年)された6年後に、富美子さんは78歳で死去。1999年には、英三郎氏も95歳で亡くなっている。終生、昭和天皇との会食の機会には恵まれないままだった。

 この記事から40年余り。美智子さまは、皇后ご在位時代に「平成流」の新たな象徴のあり方を貫かれ、“干渉”を受けるどころか、宮内庁を逆に掌握されたように思われる。世紀のご成婚から67年。改めて過ぎ去った歳月の長さを感じるのである。

【前編】では、美智子さまが皇室に入られて以後、ご実家に20年間でわずか5回ほどしか里帰りがかなわなかったことや、その背景にある宮内庁の対応の問題点について考察している。

デイリー新潮編集部

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