目黒蓮も松村北斗も…スターはきまって「寡黙」 一般人がそうなるには?(古市憲寿)

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 目黒蓮、松村北斗、古くは高倉健。大スターというのは概して寡黙である。もちろん冗舌さがウリの人気者もいるが、どちらかといえばそれは「面白枠」。お笑い芸人が典型例であるが、格好いいとは少し違う。しゃべり過ぎる有名人は、親しみやすいが、崇拝はされにくい。才能ある芸人のように無尽蔵に引き出しがあればいいが、並みの人間は消費されて終わってしまうことも多い。

 一方で寡黙なスターにファンは余白を見いだす。イメージとのギャップも生じにくいから幻滅もしない。映画やドラマでいい役を演じた場合、その印象を本人に投影しやすい。黙っている人間は「何か大切なものを抱えている」と周囲に思わせることができるのだ。経済人や政治家の場合も同じかもしれない。

 脳科学者の茂木健一郎さんは「東大王」のようなクイズ番組を批判する。なぜ東大生ともあろうインテリが、喜々として知っていることを無邪気に披露するのか、というのだ。本当のインテリジェンスは、答えを知っていても知らないふりをする。冗舌は愚かさの印、寡黙は賢さの証しだというのだ。「東大王」のような存在が「頭が良い」の象徴となっている日本は、「本当に終わっている」と憤慨している(『教養としての日本改造論』)。茂木さん自身はめちゃくちゃ冗舌だけどな……。

 でも確かに老子にも「知者不言、言者不知」とある。きちんと物事を理解している人は軽々しく知識をひけらかさないという意味だ。重要なのは「知者」という部分。知らなくて黙っているわけではなく、知っているからこそ黙っているのが重要なのだ。それはスターも一緒。普段多くを話さない人は、その一言が重みを持つ。数年前、目黒蓮さんと対談した時も、決して冗舌ではなかったけれど、知性と奥ゆかしさのある人だと思った。当たり前だが、ただの馬鹿が黙っていてもダメで、あえて黙ることが重要なのだ。

 だが寡黙は万能ではない。黙っているだけでは、ただ存在感のない人である。クイズ番組に出て沈黙を貫けば、本当に何も知らない人に見えてしまう。寡黙がスター性と結び付くには、非言語の表現力が必要だ。目黒さんの場合、それは見た目と演技力ということになるのだろう。

 じゃあ一般人はどうしたらいいのか。個人的に面白いなあと思っているのは「言いよどむ」こと。何かの問いに対して、すらすらと出てくる言葉を、どこか軽いと感じたことはありませんか。他方で、誰かが言いよどむと、その先の言葉に真実がありそうな気がしてくる。実際は冗舌に話される言葉にも真実はあるし、言いよどむ先に真実があるとは限らない。

 ちなみに僕も茂木さんほどではないが、たくさん話す方。言いよどむ時もあるが、早口なので全く重みにはつながらない。最近はPOPOPOという新しい電話アプリでどうでもいいことを話している。寡黙でいるのは難しい。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2026年4月9日号掲載

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