「水戸黄門」「女ねずみ小僧」にも出演 「俳優」としての“世界の蜷川”知られざる実像

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「男は姉に逆らえない」

「水戸黄門」では71年放送の第3部・第23話「仇討ち博多人形・博多」に出演。両親の仇討ちを狙う強気の博多芸者の妹(鮎川いづみ)と博多人形師として生きようとする。第10部・第15話「京の都の悪退治・京」では、顔を白塗りにしたお公家様役で出演。しかし、どちらもとても名優という印象ではない。

 2011年に出版された妻・蜷川宏子の「蜷川ファミリー」(朝日新聞出版)によると、初めて大劇場の演出を手がけた「ロミオとジュリエット」のオファーを受けたのは「水戸黄門」の撮影中だったという。小劇場から商業演劇へと進出するのは当時大変なことで、この本には「蜷川が日生劇場に通うようになると、劇場近辺では彼を誹謗中傷するようなビラがまかれました」とある。

 私は96年、浅丘ルリ子主演の「草迷宮」の稽古場で蜷川を取材した。「草迷宮」は諸国を旅する小次郎法師(辰巳琢郎)が母の手毬唄を求める葉越明(田辺誠一)や魔界の女・菖蒲(浅丘ルリ子)と出会う……。泉鏡花の幻想的な物語だ。

 そのときに印象に残ったのは「僕は姉の力を信じる。姉の力にはとてもかなわない」という言葉だ。

「浅丘ルリ子さんには姉で母で恋人、強い女の顔、絶世の美女、鏡花が描いた女の全てがある。中でもこの作品には姉の力がなくてはならない。男は姉に命じられたら逆らえないですよ」

 俳優に罵声を浴びせるとか、灰皿を投げるとか、そういう話が有名だったが、にこにこと楽しそうだった。写真家で映画監督の長女・蜷川実花さんが生まれて間もないころ、宏子さんは俳優業が多忙で、蜷川は育児書を手に家事と育児に奮闘した。実花さんには幼いころから「いつでもどこでも男を捨てる女であれ」「経済的にも精神的にも自立せよ」「従順な女だけにはなるな」など「蜷川家の十か条」なる教育方針を示し、常々「カッコいい女であれ」と願っていた(『蜷川ファミリー』)という。こうした言葉もどこか「姉の力」に通じている気がする。

「蜷川幸雄の仕事 とんぼの本」(新潮社)に掲載された太地喜和子の紹介欄には、「蜷川が出演したドラマを見た太地の『尊敬できなくなるから俳優をやめてちょうだい。食えないんなら、私が食わせてあげる』という言葉の真剣さに打たれて、蜷川は俳優をやめたという」とある。この“ドラマ”が時代劇かどうかはわからないが、没後10年となった今、蜷川が育てた俳優らが日本のエンターテインメントの主軸であることを思うと、太地の慧眼に改めて感謝したくなる。

ペリー荻野(ぺりー・おぎの)
1962年生まれ。コラムニスト。時代劇研究家として知られ、時代劇主題歌オムニバスCD「ちょんまげ天国」をプロデュースし、「チョンマゲ愛好女子部」部長を務める。著書に「ちょんまげだけが人生さ」(NHK出版)、共著に「このマゲがスゴい!! マゲ女的時代劇ベスト100」(講談社)、「テレビの荒野を歩いた人たち」(新潮社)など多数。

デイリー新潮編集部

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