「水戸黄門」「女ねずみ小僧」にも出演 「俳優」としての“世界の蜷川”知られざる実像

  • ブックマーク

 ペリー荻野が出会った時代劇の100人。第39回はまもなく没後10年を迎える演出家の蜷川幸雄(1935~2016)だ。厳しい演技指導で知られる“世界の蜷川”だが、その素顔とは? また、役者と演出家の“二刀流”だった彼が演出家一本に絞ることになったきっかけとは?

 ***

「蜷川幸雄です」

 昨年10月期に放送されたドラマ「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」(フジテレビ)の第9話に、小栗旬が広々とした額の蜷川役で現れた。1984年、渋谷のストリップ劇場でシェイクスピア劇を上演する面々を描いたこのドラマで、主人公である新進の演出家・久部(菅田将暉)は憧れの蜷川から褒められて有頂天に。劇場支配人と「世界の蜷川だぞ!」などと飛び跳ねて喜ぶのだった。

 このシーンを観ながら、私もあちこちの小劇場の端っこで観客として経験した、80年代の演劇の不思議な熱気を思い出していた。

 1935年に埼玉県川口市で生まれた蜷川は、55年に「劇団青俳」に入団し、68年に蟹江敬三、石橋蓮司、清水邦夫らと劇団「現代人劇場」を創立。翌年、「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビューする。72年に劇結社「櫻社」を結成。74年に解散後、「ロミオとジュリエット」で大劇場に進出。以後、近松門左衛門、泉鏡花、シェイクスピア、ギリシャ悲劇など、幅広い作品を発表。83年の「王女メディア」ギリシャ・ローマ公演をはじめ多くの海外公演も成功させ、日本を代表する演出家として国際的な評価を得た。

 97年には当時中学生だった藤原竜也を「身毒丸」の主役として指導し、2000年代に入っても蒼井優、勝地涼、松たか子、鈴木杏ら多くの若手俳優と斬新な作品作りを続けた。小栗旬は03年の「ハムレット」にフォーティンブラス役で出演して以後、翌年の「お気に召すまま」、07年の「カリギュラ」など話題作に出演している。

気弱な若者役

 筆者と蜷川作品との出会いは82年、名古屋御園座で上演された「近松心中物語――それは恋」だった。近松門左衛門の人形浄瑠璃「冥途の飛脚」をベースに秋元松代が脚色。飛脚問屋の養子・忠兵衛(平幹二朗)と遊女・梅川(太地喜和子)、与兵衛(菅野忠彦=現・菅野菜保之)とお亀(市原悦子)、二組の心中が描かれる。降りしきる雪の中、道行の末に梅川を手にかける忠兵衛、響き渡る森進一のテーマ曲「それは恋」、一人生き残った与兵衛の虚しい姿……。渦巻く情念が強烈すぎて、同じ劇場で「三波春夫公演」「松竹新喜劇」などしか見たことがなかった10代の小娘は、当時の言葉で言えばぶったまげるばかりで、このとんでもない舞台を演出したのがニナガワユキオという人物だと知ったのは、少し後のことだった。そして後年、自分が見てきた「水戸黄門」(TBS)、「影同心」(毎日放送)、「浮世絵 女ねずみ小僧」(フジテレビ)などに出演していることがわかった。

 時代劇の蜷川は気弱な若者の役が多いところが面白い。

「浮世絵 女ねずみ小僧」(71年)は色っぽくて強い常磐津の師匠・お京(小川真由美)が女ねずみ小僧となって悪い奴をやっつける痛快なシリーズだ。

 蜷川は、その記念すべき第1話のゲストだった。お京は幼なじみの大工・留吉(田中邦衛)が夜な夜な江戸の町を騒がす盗賊・ねずみ小僧だと知って心配していたが、ご赦免で江戸に舞い戻った元大店の若旦那(蜷川)が上様拝領の香炉強奪と店の乗っ取りに巻き込まれそうになったことを知り、自身が女ねずみ小僧となって悪人屋敷に乗り込む。同作は人気となり、72年と74年にも新シリーズが作られた。思えば、悪人たちにこてんぱんにされる若旦那が女ねずみ小僧誕生のきっかけだったのである。

次ページ:「男は姉に逆らえない」

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。