「天才ではないから、人の3倍も4倍も努力する」 世界に冠たる数学者「広中平祐さん」の“考え続けた”人生【追悼】

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妻に気付かされた“曖昧”の重要性

 アメリカ留学中に出会った和歌子さんと60年に結婚。文学が専門で後に参議院議員となった才媛だ。妻のおかげで論理一辺倒の数学にはない“曖昧”の重要性に気付いたという。授かった1男1女は共にハーバードを卒業。子育てに関し、最低限のモラルと勉強の基礎を教えた後は子供を信じて自主性に任せればいい、と語っている。

 88年には証券会社に請われ、数学を駆使した株式投資理論の研究に参加して驚かれた。数年で理論を導ければと言って誘われたが、進展が聞かれないうちにバブル経済は崩壊した。

 96年から2002年まで山口大学の学長を務める。

「好きな数学を突き詰めて世界で活躍するようになったのに“全ての始まりは故郷”との気持ちを変わらずお持ちだった」(山本さん)

 80年代に話題になった著作を18年に『学問の発見』として再び世に出すなど意欲は衰えなかった。

 3月18日、94歳で逝去。

 途方もない無駄や失敗を重ねる過程で分かってくることがある、まずは自分で考え創造力を伸ばしていく“創才”には誰もがなれる、と唱えていた。学者にして核心を突いた教育者だった。

週刊新潮 2026年4月2日号掲載

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