「自衛隊」と呼ばれた守備職人も…プロ野球“名脇役”列伝

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あきらめないのが自分のスタイル

 最後は2000年代の落合中日の黄金時代を支えた守備の名手・英智を紹介する。

 落合博満監督1年目の2004年、本名の蔵本英智から下の名前だけの登録名で心機一転飛躍を期した英智は、シーズン前半は主に代走や守備固めを務め、試合終盤の守りで勝利につながる美技を連発する。

 6月16日の広島戦では、8、9回に抜ければ長打になる打球をいずれもダイビングキャッチして味方のピンチを救う。同27日の阪神戦でも7回無死満塁、葛城育郎の「本塁で刺すには一杯一杯」の左飛を捕手・谷繁元信のミットにワンバウンドでストライク送球し、三塁走者をタッチアウトに仕留めた。

 “一芸に秀でた選手”を評価する落合監督も、英智が首位戦線を勝ち抜くための重要なパーツであることを認め、7月20日の巨人戦から先発に抜擢した。同31日のヤクルト戦では、1点リードの6回に左飛を落球し、逆転を許したが、「あいつが捕れなきゃ、誰も捕れない」とコメントし、全幅の信頼を置いた。

 同年、英智は終盤戦に負傷離脱した福留の穴を埋めて、チームの5年ぶりのVに貢献するとともにゴールデングラブ賞を受賞した。

 実働12年で通算打率.236と打撃が今ひとつの印象も否めない英智だが、ここ一番では無類の勝負強さを発揮している。

 前出のヤクルト戦でも、左飛落球直後の6回裏に一度は同点に追いつくスクイズを決め、自らのミスを挽回している。

 また、07年6月8日の西武戦では、1点を追う9回2死一、二塁、右翼線に起死回生の逆転サヨナラ2点三塁打を放ち、それまでの4打席で無安打に終わった悔しさを晴らした。

 さらに同年8月19日の横浜戦でも、同点の6回に決勝ソロを放ち、チームを勝利に導く。前日、1死二、三塁のチャンスに代打起用され、1度もバットを振ることなく、見逃し三振。この日も2回にけん制で飛び出し、アウトになっていた。

 だが、「試合の中でミスをしていたが、出ているうちは上を向いていよう」と前向きな気持ちを持ち続けたことが、好結果につながった。

 同年、中日はCSを経て、53年ぶりの日本一に輝いた。

 規定打席に1度も到達したことはなかったが、攻守ともに「あきらめないのが自分のスタイル」をモットーとする“4人目の外野手”が、落合中日の4度のリーグ優勝と07年の日本一を支える名脇役となった。

 今回紹介した3人のいぶし銀のような味わい深い野球人生を振り返ると、「野球は守備から」という言葉をしみじみ実感させられる。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘! 激突! 東都大学野球』(ビジネス社)

デイリー新潮編集部

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