MLBのホームラン王も“超不運助っ人”も…開幕直後に消えた外国人列伝
今季も巨人の新4番候補・ダルベック、DeNAの最速150キロ左腕・コックスら、多くの新外国人選手が来日した。彼らは本国での実績があっても、日本では未知数だ。日本の野球に適応できなかったり、不慮のケガに見舞われたりして、実力を発揮できずに終わった選手も少なくない。中には来日デビュー戦で、早々に戦列を離れた助っ人もいる。【久保田龍雄/ライター】
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ひと振り700万円
開幕戦で4番を務めながら、ケガのため出場1試合で終わったのが、1974年の太平洋、フランク・ハワードだ。
大リーグで2度の本塁打王に輝き、通算382本塁打を記録した“伝説の強打者”は、3月17日のオープン戦・大洋戦で場外弾を含む2本塁打を記録し、開幕前にはグアム島旅行が当たる「ハワード・ホームランクイズ」も実施されるなど、本塁打を何本打つかに注目が集まった。
だが、来日時点で右膝を痛めていたハワードは、4月6日の開幕戦・日本ハム戦に4番・ライトで出場したものの、3打席目に三ゴロ失策で一塁へ全力疾走した際、膝の状態を悪化させてしまう。
当初は全治2週間と診断されたが、回復は長引き、戦列復帰できないまま、7月5日に引退が発表された。
出場は1試合のみで、2打数無安打1四球。3打席でバットを振ったのは4回で、年俸2800万円で契約しながら、ひと振り700万円という高価な買い物になった。
ちなみに前記のホームランクイズでは、「0本」の的中者が13人いたのも皮肉な結果だった。
代打の1打席だけで見限られてしまったのが、大洋のフリオ・リナレスだ。
1971年、遊撃手の補強を急務としていた大洋は、前年にジャイアンツ傘下の3Aで打率.278、3本塁打、69打点を記録したリナレスを獲得した。
メジャー経験はなかったが、練習で率先してボール拾いをする真面目な新外国人に、後の名スカウト・牛込惟浩マネージャーも「リナレスは30歳で5人の子持ち。生活がかかっているんだから」(週刊ベースボール3月29日号)と、日本での飛躍を期待した。
オープン戦でも3月17日の阪急戦で逆転3ランを放ち、3試合で8打数2安打4打点とまずまずの結果を残したリナレスだったが、不安定な守備が災いして屈辱の開幕2軍スタート。その後、1軍登録され、4月21日の広島戦の7回に代打で起用されたが、右邪飛に倒れると、別当薫監督は再び2軍降格を命じた。これに反発したリナレスは、開幕から1カ月足らずで退団帰国し、5月6日付で任意引退公示された。
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