「お母さんを必ず甲子園に連れて行くからね」 有言実行のエース「宮城大弥」が家族に目標と明かした「中日レジェンド投手」の名前

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気持ちの切り替えの早さにいつも驚かされる

「最初の1年は二軍で体力作りに励み、2年目から活躍できるように……」と意気込んだ2021年の春季キャンプは、当初二軍スタートだったものの、「さらなるレベルアップが必要だ」と感じた宮城投手は、当時の中嶋聡監督やコーチに一軍入りを直談判。その話を球団のスタッフ伝いに聞いた母は「とにかく驚かされた」というが、宮城投手の心意気を買った中嶋監督は、開幕ローテーション抜擢を決めると、2年目のサウスポーもその期待に見事に応え、13勝(4敗)防御率2.51の成績をマーク。25年ぶりのリーグ優勝に貢献し、新人王のタイトルも手にした。

 その後も2023年まで3年連続2桁勝利を挙げる活躍を見せ、チームの3連覇と日本一達成を支えた宮城投手は、日本を代表するピッチャーとして名を轟かせた。第5回(2023年)WBCに出場する侍ジャパンの一員として世界一に貢献。今年3月に行われた第6回大会でもメンバーに選出され、1次リーグの台湾戦で好投を見せるも、チームはベスト8で敗れ、2大会連続優勝を逃した。

「前回のWBCを終えて日本に帰ってきた大弥は、まだ勝利の余韻に浸る私たちに『もう大会は終わったのに、いつまで優勝の話をしているの?』と問いかけてきて。まだ大会を終えて1週間も経っていないのに、『次のWBCに選ばれるように頑張るから』と言うんです。新たな目標を見つけ、そこに向けて気持ちを切り替える早さにはいつも驚かされますね」(礼子さん)

 残念ながらベネズエラ代表に敗れ、日本代表のWBC連覇の夢はベスト8で途絶えてしまったが、27日に幕を開ける2026年シーズンや、2年後のロサンゼルス五輪に気持ちを切り替え、レベルアップを重ねていく。特に2年後に五輪の行われるロサンゼルスは、かつて父の享さんが「映画関係の仕事に就きたい」と夢を追い、20代を過ごした特別な場所。少し気は早いかもしれないが、父が青春を過ごしたこの場所で、宮城投手は代表のユニフォームを纏い、栄冠を掴むことはできるだろうか。次に向けた道のりはもう始まっている。

少しでも長く野球を続けたい

「大弥は、誰も踏み込めない彼独特の野球観を持ち併せていて、家族の僕らも驚かされることがありますけど、怪我をせず、1年でも長く投げられるような身体作りを目指し、自身に合ったフォームの調整を行っているようです」(享さん)

 宮城投手は、日頃から中日ドラゴンズで51歳までプレーし、219勝を挙げた山本昌投手を目標に挙げ、「少しでも長く野球を続けたい」と家族に打ち明けているという。

「本人は勝負師ですから、もちろんどの試合も『負けたくない』という思いでマウンドに上がっていますが、怪我をすると投げられなくなってしまうことも理解していて。自信が掲げた目標に怪我をせずにたどり着くにはどうすれば良いかを考えながら、日々過ごしているようです。まもなく2026年シーズンも幕を開けますが、今季は『自己ベストを出せるように……』と意気込んでいたので、私たち家族もこれまで以上の声援で、背中を後押ししていきたいです」(享さん)

 昨季は打線の援護に恵まれず7勝止まりだったが、チーム2位の150.1回を投げ、キャリアハイの165奪三振をマークするなど、変わらぬ存在感を示した。3年ぶりの王座奪還に向けて腕を振るエースの勇姿に注目していきたい。

第1回【「全財産5000円」「ヤモリとゴキブリが這い回る」極貧家庭から“侍ジャパン”に! 3年連続の開幕投手「宮城大弥」の家族が明かす壮絶な幼少期】では、3年連続でオリックスバファローズの開幕投手となったエース・宮城大弥投手の幼少期時代の思い出、さらに厳しい生活環境の中でどのように育ったのかについて伺いました。

デイリー新潮編集部

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