WBCの“後遺症”に泣いた名選手たち…栄光の先にあった試練

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痛み止めを飲んで壮行試合に登板

 だが、“中日の井端”で終わらなかったことが、その後の野球人生をより豊かなものに変える。

 翌14年から巨人で2年間プレーし、現役引退後は巨人のコーチを務めるなど、指導者として数々の経験を積んだことが、10年後の侍ジャパン監督就任につながった。

 WBCの大活躍から8ヵ月後に野球人生の崖っぷちに追い込まれるという数奇な運命に直面した井端だったが、結果的にこの逆境こそが野球人生の大きな転機となった。

 WBC出場で事実上選手生命を絶たれてしまったのが、ヤクルト・石井弘寿である。

 2006年、第1回大会の代表メンバーに選ばれた石井は、2月の合宿中、左肩にインピンジメント症候群を発症した。

 通常のシーズンなら、1、2週間肩を休ませ、回復に努めているはずだったが、代表に選ばれた責任感や、世界を相手に戦うことにやりがいを感じていたことから、痛み止めを飲んで壮行試合に登板した。

 そんな無理が祟り、1次ラウンドの韓国戦では2対1とリードの8回に李承燁に逆転2ランを浴びてしまう。

 それでも肩の痛みを押して渡米したが、激痛で夜も眠れなくなり、ついに2次ラウンドを前に無念の出場辞退となった。

 同年、シーズンでも11試合の登板に終わった石井は、左肩の腱板が断裂していることが判明。オフに手術を受け、5年間にわたってケガと闘い続けたが、最速155キロの速球が蘇ることはなかった。

 そして、07年以降は1軍では登板機会のないまま、2011年10月25日の引退試合(広島戦)を迎えている。だが、WBCに出場したことは、「自分の決断なので後悔はない」とキッパリ語っている。

 前回の2023年の第5回大会で投打にわたって世界一に貢献した大谷翔平も、同年は9月に右脇腹痛で故障者リスト入りしたままシーズンを終え、オフに2度目の右肘手術を受けるなど、アクシデントが続いた。

 栄光の舞台で全力を尽くした代償は、それほど小さくない。今回の出場メンバーたちには、WBC後の新たなる戦いでも万全の状態で戦い抜き、シーズンの最後にバラ色のオフを迎えてほしいと切に願う。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘! 激突! 東都大学野球』(ビジネス社)

デイリー新潮編集部

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