センバツ史に残る「サイクル安打秘話」 唯一の達成者と惜しくも逃した打者たち
今年で98回目を迎えた選抜高校野球大会だが、これまでサイクル安打が達成されたのはたった1度しかない(夏は6回)。それも本人が意図しないシチュエーションで生まれた、偶発的な記録だった。センバツで本当にあったサイクル安打にまつわる珍エピソードを集めてみた。【久保田龍雄/ライター】
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今度はきっとカーブで来る
大会史上初、そして現在でもセンバツで唯一無二のサイクル安打を達成したのは、1979年の箕島の4番打者・北野敏史だ。
開会式前日の送球練習で左肘を痛めてフルスイングできなくなった北野は、準決勝までの3試合で12打数2安打と不振に陥った。
だが、試合を重ねるごとに感覚が戻り、決勝の浪商(現・大体大浪商)戦を前に「腕が折れてもいい。思いきり振ってやる」と決意する。
1点を先制された1回裏2死一塁、北野は牛島和彦から一、二塁間に会心の当たりを放ち、同点劇につなげると、一気に乗っていった。
1対1の3回には2人の走者を置いて勝ち越しの中越え三塁打。5対6の7回にも、右中間席に値千金の同点ソロを叩き込んだ。そして、7対6と1点リードで迎えた8回2死二塁の5打席目。「本塁打まではみんなストレート。今度はきっとカーブで来る」の読みどおり、牛島のカーブをとらえると、打球はセンター右を抜く長打コースになった。
二塁打ならセンバツ史上初のサイクル安打達成。だが、記録のことを知らなかった北野は「優勝するためにも1点でも多く欲しい」の思いから、一挙三塁を狙う。ところが、ヘッドスライディングも及ばず、好返球でタッチアウト…。北野の記録は8点目のタイムリー二塁打となり、結果的に史上初の快挙が実現した。テレビの実況アナも「今アウトになったために、サイクルヒットになりました」と説明した。
北野のこの打席は一塁が空いており、追いつ追われつの切迫した試合展開を考えると、敬遠されてもおかしくないケースだった。だが、ベンチの敬遠指示に対し、負けん気の強い牛島が「打たれるなら、誰に打たれても同じ」と、あえて北野との勝負を選んだといわれる。
もし敬遠されていたら幻に消えていたという意味でも、まさに偶発的に生まれたサイクルと言えるだろう。この1点がモノを言い、箕島は8対7で逃げ切って2年ぶり3度目のセンバツVを勝ち取った。試合後、北野は「えっ、サイクルになったんですか。本当ですか」と驚きつつも、「優勝した試合でこんなに打てて、一生の思い出です」と感激しきりだった。
今大会で47年ぶり2度目のサイクルが達成されれば、「あの北野以来」と再び名前がクローズアップされるはずだ。
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