「ウチのカミさんがね…」を“コロンボ節”にした「小池朝雄さん」 54歳で息をひきとる間際、妻に残した言葉とは

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トレードマークは大きな目玉と低音

 演出家の福田陽一郎さんが、

「文学座の楽屋に行った時、小池さんが鏡の前であの目玉を動かして、あらん限りの表情を研究していたのが印象に残ってます。何しろすごい目玉だった」

 と語るように、“快優”もしくは“怪優”とも呼ばれた小池さんのトレードマークは、何といっても、ぎょろりとした大きな目玉と、時には凄味を感じさせる低音だった。

 個性的なアクの強さを買われて、舞台のかたわら、東映のやくざ映画に続々出演。鶴田浩二や高倉健を支える異色のバイブレーヤーとして、急速に売れっ子になっていった。

 舞台だったか、東映のやくざ映画だったか、小池さんの演技を見てファンになったのが、昭和36(1961)年に結婚した妻の菱子(りょうこ)さん。娘が2人いる「うちのカミさん」だ。

 舞台を降りた小池さんは、大のスポーツ好きでも知られている。ゴルフは「20代の時からやってた」そうだし、アイスホッケーは、“超”がつくほどのファン。文学座時代は野球でキャッチャーをやり、ガラの悪いヤジを飛ばして先輩によく怒られていた。

最期の言葉は「ありがとう」

 ガラが悪いといえば、他人の演技に対する批判も、思ったことをズバズバ言った。

「理想主義的なところがありましてね。自分のことは思い切ってタナに上げ、他人への言い方を加減しない。しかし、彼は誰よりも愛情を持って目的に向かってたから、許されたんですね」

 と語るのは、文学座で同期生だった北村和夫さんだが、昭和47(1972)年から10年近く放映された「刑事コロンボ」が終わるころ、小池さんの厳しかった批評が、しだいに点が甘くなっていったという。

 友人に、「オレはガンなんだぞ」と冗談まじりに言うようにもなり、昭和58(1983)年10月、公演中にノドの異常を訴えて、食道ガンの手術を受けた。

 義兄の梨田善昭さんによれば、

「ガン自体は切除できましたが転移がありました。去年(1984年)の7月に気管支の方で再発し、制ガン剤や放射線等で医師団も最大の努力をしました。1年5カ月の闘病生活で3度入退院を繰り返し、最後は非常に急速な病状の進行で、3月23日の早暁、午前3時34分に肺不全を併発して亡くなりました。妻と子供の3人が手をもって看取ってやり、最後は眠る前に菱子に、『ありがとう。みんなにもな』と言ったそうです」

まだまだ伸びる役者だった

 あるいは、人一倍旺盛なサービス精神や責任感が命を縮める結果になったのか。食道ガンの手術後、自宅で療養生活をしながら映画の仕事をしたり、亡くなる直前の18日にもテレビドラマの吹き替えをするなど、最後まで無理を重ねていた。

 先の飯沢さんは、小池さんの死をこう惜しんでいる。

「一見、荒っぽい人に見えるけど、非常にデリケートで細やかな心づかいをする人でした。彼の演技も同じようなところがあるので、やくざ映画などで荒っぼい役を押しつけられたりしました。しかし、彼は創作劇の最後の舞台で、知性的な歴史学者を実にうまく演じている。役者として、まだまだ伸びる人だっただけに、本当に残念です」

デイリー新潮編集部

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