雅子さまとの結婚を決意するきっかけに… 天皇陛下、若き日の「南西アジア訪問」 浩宮さまが“爆笑”されたシーンとは

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【前後編の後編/前編からの続き】

 天皇陛下は若き日の浩宮時代、27歳の時に南西アジア3カ国を訪問した。ことにブータンでは女性王族による手厚いおもてなしを受け、雅子さまとの結婚を決意するきっかけとなった。当時、同行取材した筆者が天皇陛下の忘れ得ぬ「ブータン訪問」秘話を振り返る。

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 前編では、ネパールとブータンを訪問された際の秘話について紹介した。

 ブータン3日目は郊外の山頂3000メートルにあるタンゴ僧院に行った。浩宮さまが急な山道を一気に35分で登ると、僧院の屋根の上に立ち並んだ少年僧たちが、とても長い楽器を吹き鳴らして出迎えた。高僧の説明を聞いた後、おみくじに“挑戦”した。三つのさいころを振り、その目の合計で、浩宮さまはみごと縁起の良い数を出した。

 この後、小、中学校を参観し、農家も見学した。3階建てで、1階は豚などの家畜小屋、2階と3階に広めの仏間と居間、台所などがあった。浩宮さまは主人が差し出す白酒に似た地酒を飲んだり、近所の子どもたちに声をかけたりして、精力的にブータン国民との触れ合いを続けた。ブータンは当時、最貧国(後発開発途上国)とされていたが、現地で深刻な貧しさを感じることはなかった。

「別れの宴」となる皇太后主催の晩餐会に、浩宮さまは前日の日本大使主催のレセプションと同様にブータンの民族衣装姿で臨んだ。同行記者団に驚きの知らせが届く。「皇太后が日本の報道陣を晩餐会に招待する」と。外国の賓客を招いた正式な晩餐会は、日本でも一部だけ取材が許されるが、記者らが招待客となって陪席するのは極めて珍しい。

 パロ王宮の月明かりの中庭に出て、少女らが「また会いましょう」と歌や踊りを始めると、王女が報道陣に「一緒に踊りましょう」と声をかけた。浩宮さま、皇太后、王女をはじめ両国40人ぐらいの踊りの輪ができる。盆踊りのようで、皆がとても楽しそうだった。

「時間を超越した夢の世界にいる思いでした」

 国王の姿はなかったが、国王の長男が浩宮さまに花束を渡し、別れの晩餐会にも参加したという話を聞いた。筆者は事前の外務省からの説明で国王は独身と聞いていたが、ブータン関係者がこんな説明をしてくれた。

「国王には王妃がいて6歳(正確には前月の誕生日で7歳)の長男がいます。王妃は4人いて名門家の姉妹だから皆とても仲がいいのです。これはブータンでは公然の秘密。いずれ公表されると思います」(この長男こそ5代目の現国王で、2011年に来日した。4代目国王は4人の王妃との間に現国王を含む5男5女に恵まれた)

 次の朝、パロ空港には予定になかった皇太后と3王女が見送りに来て、前夜の余韻が残る浩宮さま一行を感激させた。そして皇太后はまた報道陣に近寄り、「ブータンは十分に楽しんでいただけたでしょうか。またお越しください」と別れのあいさつをしてくれた。

 ブータン唯一の新聞「クエンセル」(国営で週刊)は前週に4ページの日本特集を組んだのに続き、1面トップで国王と浩宮さまの写真を入れた浩宮訪問記事を大きく載せた。

 皇族としてブータン一番乗りを果たした浩宮さまは、訪問の感想をこう語った。「ひとこま、ひとこまが私にとって感動の連続で、時間を超越した夢の世界にいる思いでした」

 ブータンは同じアジアの皇室を持つ日本こそ、信頼すべき国と見てきた。実際に浩宮さまを招いてその人柄に接し、ますます日本への期待が膨らんでいった。それが皇太后の積極的な友好メッセージになったと筆者は思っている。

 そしてまた、日本では考えられないブータン王室のソフトな対応を見て、浩宮さまは皇室外交における女性の重要性に気付かれたのだろう。男性ではなかなかできない心温まるおもてなしが期待できるからだ。語学力もあり、外国からの賓客を感動させるもてなしができる女性――これがブータン訪問で学んだお妃選びの条件になった。

 日程10日目の3月19日夜、最後の訪問国インドのデリーに到着した。皇族の訪印は1960年の皇太子夫妻(現上皇夫妻)以来、27年ぶりの公式訪問となる。

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