「ニッポンのプリンス」を見るために数千人の人波が… 天皇陛下、若き日の「南西アジア訪問」 同行した記者が明かす秘話

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開明的な国王

 午後、現地で農業指導を23年続けている西岡京治さん(当時54歳)の農業機械化センターを視察。西岡さんは国王から「ブータン農業の父」となった貢献が認められ、外国人として初の栄誉称号「ダショー」を授かっている。西岡さんは、「両国の国交樹立1周年を記念するかのように浩宮さまに訪問いただき、長年、日本人一人で頑張ってきた苦労が報われたような思いです」と目を潤ませた(5年後に亡くなると、ブータンの国葬になった)。

 首都のティンプーに入った。標高約2400メートルで肌寒い。九州ほどの国土に人口約120万人、この首都には約3万人が暮らす。中心部といっても交差点に信号機はない。高山に囲まれた町並みは、木曽路・妻籠(つまご)宿といった感じで、日本の田舎を思わせるのどかな景色が続く。現地の人々は日本人そっくりな顔立ちだ。

 ブータン2日目。浩宮さまは政治と宗教(チベット仏教)の中心で、外見は日本の城に似たティンプー・ゾン(タシチョ・ゾン)を訪ね、ワンチュク国王と会見した。31歳の4代目国王は、世界最年少の16歳で即位。国を開き、経済成長より国民の精神的な幸福を重視する「国民総幸福」(GNH)を提唱した開明的な国王であった。

 国王のそばに、僧侶が立ち会うのが仏教国らしい。年齢が近いお二人だけの歓談もあり、国王は両国の交流の重要性を語った。ちなみに、日本はブータンへの経済協力で主要援助国の第1位だ。

 お二人はそろってゾンの中庭に出て、千人を超える市民や、王族、政府要人らと共に、伝統舞踊をご覧になった。色鮮やかな衣装に、奇妙な仮面の踊りなど、日本ではほとんど知られてない舞踏が続いた。会場の壁面には12年に1回しか開帳されない縦15メートル、横20メートルもある秘宝の仏教画「タンカ」が掲げられ、ブータンが国を挙げて歓迎する意気込みを感じさせる。

「ニッポンのプリンス」を見つめる数千人の人波が

 浩宮さまはこの後、56歳になるケサン皇太后を訪ねた。国王と4王女の母で、まだ国交がなかった時に2回訪日している大の親日家だ。国王主催の午餐会(ごさんかい)にはブータン王族のほぼ全員がそろった。

 浩宮さまはスケジュールの空白時間ができると、ここでも「市内に出て歩いてみたい」と申し出て、街中散策が始まる。繁華街の沿道には数千人の長い人波ができ、「ニッポンのプリンス」を見つめていた。浩宮さまは土産物店で、竹細工の弁当箱(約240円)や仏教画2枚(約1万4000円)を買い求めた。

 夕刻から始まった日本大使(駐インド大使と兼務)主催のレセプション会場がどっと沸いた。浩宮さまがブータンの民族衣装で登場したのである。「まるでブータンのプリンスですね」との声も聞かれ、一気に和んだ雰囲気になった。この瞬間に両国の友好が一層深まったように思う。

 皇太后や、国王の姉妹3王女も出席していた。国民から尊敬される王族はすぐに帰ることもあるが、この日は1時間も日本側参加者と懇談していた。

 途中で場内に緊張が走る。皇太后が同行報道陣の中に入り、「ブータンはお気に入りましたか」と英語で話しかけてきたのである。王族、特に国王や皇太后と話すことなど恐れ多いと考えるブータンの人たちは、目を見張っていた。日本のマスコミが大挙してブータンに入国したのは初めてだ。皇太后はさらに「日本人が大好きです」と話を続け、訪日した思い出なども語ってくれた。

 実は浩宮さまの民族衣装も皇太后が計画したものだった。浩宮さまが市内散策から戻ると、皇太后の秘書が民族衣装を届けに来て、「今夜のレセプションに是非お召しください」と皇太后の口上を伝えた。浩宮さまも快諾し、ブータン側の接伴員らに着せてもらったという。

 後編では、浩宮さまがインド訪問時に”爆笑”されたエピソードなどについて報じる。

斉藤勝久(さいとうかつひさ)
ジャーナリスト。1951年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。読売新聞社会部で司法を担当したほか、86年から89年まで宮内庁担当として「昭和の最後の日」や平成への代替わりを取材。近著に『占領期日本 三つの闇 検閲・公職追放・疑獄』(幻冬舎新書)など。

週刊新潮 2026年3月19日号掲載

特別読物「雅子さまとのご結婚を決意 天皇陛下忘れ得ぬ『ブータン訪問』秘話」より

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