「ニッポンのプリンス」を見るために数千人の人波が… 天皇陛下、若き日の「南西アジア訪問」 同行した記者が明かす秘話

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「一日中ここにいても飽きない」

 夕方に天気が回復し、雲を突き抜けピラミッド形にそびえる名峰マチャプチャレ(6993メートル)が姿を現す。浩宮さまは、周囲に「神々しさを感じた」と感想をもらした、ピンク色に染まる霊峰をカメラに収めていた。

 ネパール訪問のハイライトとなる3月13日を迎える。鳥のさえずりで朝5時に目覚めた浩宮さまは戸外に出て、じっと山を見つめていた。遠くには7000、8000メートル級のアンナプルナも。

 絶好のトレッキング日和となり、ヒマラヤ連山を見ながらサランコットの丘(約1600メートル)まで3時間半、山歩きを楽しんだ。額に汗をにじませながら進んでくるプリンスの一行を、村人たちが拍手で迎えてくれた。

「大感激です。(ヒマラヤの山々が)こんなによく見えるとは思わなかった。一日中ここにいても飽きないですよ」。山を愛する浩宮さまが声を弾ませて語った。

ライフワークとなる「水問題」に取り組むきっかけ

 この山道に、女性たちが担いできた甕(かめ)に水を入れる水くみ場があった。水道とは違い、ポトポトとしか水が落ちてこないので、甕を満たすには時間がかかり、順番を待つ列は絶えない。日本の一行を見つめる彼女たちの多くは無表情だった。遠い所から徒歩でやって来て、生活に欠かせない水で重くなった甕を持ち帰る日々に疲れているのかもしれない。

 水上交通などを研究していた浩宮さまは、この水くみ場の光景から「水くみにいったいどのくらいの時間がかかるのだろうか」「水くみをするのは女性や子どもが多く、本当に大変そうだ」という感想を抱き、関心を持つ。これがやがてライフワークとなる「水問題」に取り組むきっかけとなったのである。

 ポカラからカトマンズへの帰途、浩宮さまは特別機で世界最高峰のエベレストを眺めるマウンテンフライトも体験した。

 翌朝、筆者は東京の社会部からの電話で起こされた。「浩宮さまのご結婚相手が決まったらしい」という内容だった。当時の浩宮さまに関する最大の関心事はご結婚で、外遊前の記者会見でも「30歳までに結婚したい」と述べている。同行の曽我東宮侍従を取材したら、「さっき別の社から同じ話を聞いた。本当にそうだったらありがたいのだが」と一笑に付されてしまった。

秘境の王国だったブータン

 この日、浩宮さまは亜熱帯地区にあり野生動物が多いチトワン国立公園を、インド象に乗って見学した。サイや虎、毒ヘビもいるので、象に乗るのが安全だという。「乗り心地は思ったより良く、面白かった」と珍体験を満喫された。

 夜には王宮で、ビレンドラ国王主催のネパール王族5人との夕食会に臨み、東京大学に留学した親日家の国王とネパール最後の夜を過ごした(14年後にこの夕食会で同席した皇太子が両親の国王夫妻らを銃殺し、本人も自殺したとされる悲劇が起きて、ネパール王制廃止の遠因になる)。

 浩宮さまはネパール滞在の感想をこう述べた。

「サランコットの道筋で土地の人々の生活を垣間見ることができた。マウンテンフライトと合わせ(ヒマラヤの)大自然に接して味わった感激は、これからもなかなか経験できないものと思います」

 歴訪7日目の3月16日、浩宮さまの皇室外交として最も期待されるブータンに入った。今でこそ「幸せの国」として知られているが、当時は長い鎖国を解き、日本との国交は1年前に樹立されたばかり。まだ日本側から閣僚など要人が訪問したことのない秘境の王国である。

 実は、曽我東宮侍従がブータン通で、長い間この国に関心を持ち、浩宮訪問実現を支えていた。

「ブータンはクイーンマザー(皇太后)がしっかりされているから、安心して滞在できる。ブータンに行った人はみんな大好きになって帰ってくる」

 と、曽我東宮侍従が出発前に教えてくれた。

 当時、通信事情の関係で、浩宮さまの現地での様子はリアルタイムで日本に速報することはできなかった。

 経由地のインド・カルカッタ(現コルカタ)から、ブータン航空の定員20人ほどの小型機2機に分乗して1時間半、山々の間を縫って進む。唯一の国際空港であるパロ空港で、国王の妹王女が着物に似た民族衣装「キラ」で出迎えた。

 国技の弓の競技会を見学する。丹前に似た「ゴ」という民族衣装の男性選手たちが遠くの的を次々と射抜いていく。多くの観客が楽しそうに応援しており、沖縄のメロディーに似た歌声も聞こえる。浩宮さまも弓を引いてみたが、難しそうだった。

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