「オイチニ」の掛け声で淡々と走り去った2人、実は脱獄囚だった…警察のミス多発、最初から最後まで珍妙すぎる「昭和の大脱走」

  • ブックマーク

 昭和52(1977)年3月2日午後、群馬県の前橋刑務所から27歳の男2人が脱走した。2日後に逮捕されたものの、2人がマラソンを装って刑務所から離れたり、便乗強盗の発生に激怒したり、警察の大包囲網が空振りに終わったりと、どこかブラックコメディドラマのようなエピソードが続々と――。携帯電話もネットも普及していない時代の“大脱走”を、「週刊新潮」のバックナンバーで振り返る。

(全2回の第1回:以下「週刊新潮」1977年3月17日号「テレビより面白かった前橋刑務所『脱獄囚』の計画と逃走劇」を再編集しました。文中の年齢等は掲載時のままです)

 ***

不思議な「マラソンと競歩」

 逃げていた27歳男2人の主な罪名は、後藤次郎(仮名=以下同)が殺人未遂や窃盗、田中宏が強盗や強姦だった。彼らは木工用のノミまで持ち出し、何をしでかすかわかったものではなかったが、2日間の逃亡は、そのスタートからしていささか珍妙であった。

 前橋刑務所の高いレンガ壁から10メートルほど離れたゴルフ練習場では、3月2日の午後、2人の客がパターの練習をしていた。彼らはそこで、4時20分に不思議な「マラソンと競歩」の風景を目撃する。

「突然、『オイチニ、オイチニ』という掛け声が聞こえてきたんです。顔を上げるとグレーの囚人服の男2人がランニングで近づいてくる。ポカンとして見ていると、『オイチニ、オイチニ』と通り過ぎて行く。と、1人が帽子を落としたんです。10メートルぐらいバックして拾い、また『オイチニ、オイチニ』……。帽子を拾い上げるとき目と目が合ったんですけど、落ち着いた感じでね」

 模範囚の所外マラソンのようだが、看守が伴走していないのはおかしい思いつつ、100メートルほど先で見えなくなるまで眺めていた。すると今度は、囚人が現れた方向から2、30人の看守がやってきた。そこでついに脱走だったことに気付く。

木工作業中にハシゴを作成

「でも、これがまたヘンなんです。(看守の中に)走っている人が1人もいないんだなあ。一番早く追いかけている人でも競歩ぐらいなんですねえ。それに彼ら、われわれのそばを通るときも、一言も尋ねようとしない。そこでこっちから、『今、あっちへ逃げて行ったばかりだよ』と口を出したんですけど、それでも走らない。自転車が2台あったので、『これを使って追いかけたら』とも提案したんですけど、『いや、いいです、いいです』といって誰ひとり乗ろうとしない」

 走らない追跡者を弁護する声もある。脱獄囚2人は南側の壁を越えたが、看守が壁を越えるわけにはいかず、北にある正門から出るしかなかった。したがって、大変な大回りであり、ゴルフ練習場のあたりでは息切れして走れなかったというのだ。この10年間、脱走者は1人もいなかったから、看守たちは運動不足だったのだろう。

 では、後藤と田中はどうやって脱走したのか。この前橋刑務所は明治21年に創設された由緒ある(?)監獄だ。外壁はしばしば映画ロケに使われるというが、さすがの映画監督たちも、2人が刑務所の中でハシゴを作った話には驚くにちがいない。

 2人は刑務所内で家具の製造と塗装に従事していた。33人の囚人に看守は1人で、夕方の終業時の道具点検のときだけ2人になる。そこで田中は、残材で1メートル80センチのハシゴを4連作り、脱走の当日、長さ7メートル近くの一連のハシゴに継ぎ合わせた。外壁の高さは約5メートル半だから、十分な長さであり、強度もまあまあであった。

次ページ:線路伝いに歩く2人の姿を発見

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。