「月に30万円やるから俺のそばにいてくれ」 全く仕事がなかった「有吉弘行」と10日連続で飲んだ「上島竜兵」涙と笑いの酒人生

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「なんでお前は仕事がないんだ」

 有吉と上島は妙にウマがあったようだ。長くなるが、上島の連載「ユカイな交遊録」から。

〈有吉君には酒飲み相手として、ずいぶん世話にもなった。彼がまったく仕事がない時代は10日連続で飲んだこともある。うちのリーダー(肥後)がブラジルにロケに行って、ボクも仕事がなかったから、こちらの地元の中野まで毎日電車で来てもらっていたんです。最初のうちはまだ話題があったし、ボクのつまらない話でもよく聞いてくれる。それにアイツ、笑顔がかわいいでしょ。話してて気持ちが和んでくるんですよ。でも、10日目になると話すことが何もない。ビールを1杯飲んで顔を見合わせ、「今日はやっぱやめておくか」「うん、やめましょう」といって10分くらいで解散しました〉

 実はこの頃の有吉は、飲むしかない“ドン底の日々”を送っていた。

 森脇和成(51)と組んで「猿岩石」を結成したのが94年。「進め!電波少年」(日本テレビ)の企画「ユーラシア大陸横断ヒットハイク」でブレイクしたのが96年。芸人というよりはアイドル的な人気を得て、一番稼いだ時は月給が2000万円。しかし、ブームが去り、それでも給料100万円時代が4年くらいあったが、その後は一気に仕事がなくなる。

 猿岩石時代の貯金も底をつき、命綱だと考える「預金残高100万円」をキープしながら、「月30万円あれば無敵だ」(著書『お前なんかもう死んでいる』双葉文庫)と考えた。ありとあらゆる生きていく術を考えたという。オネエ系キャラから汁男優……ホームレスになることも覚悟した。

 そんな有吉を見放さなかったのが上島だった。

「月30万円やるからずっと俺のそばにいてくれ」

 と言って、飲みに来るように声をかけ続けたという。それが「竜兵会」で、上島と飲み続ける生活になった。双方の話ではどっちがどっちを助けていたのかわからなくなるが、上島が、他にはない有吉の確たる個性とタレント性を見抜いていたことは間違いない。

「なんでお前は仕事がないんだ」

 と、上島が号泣しながら叫んだという逸話も残っている。

僕の「保険」は上島さんです

 もっとも、有吉は上島を頼りにしている一方で、つれないというか、ドライというか……そこがまた有吉らしいのだが、前掲書から。

〈僕が頼ってたのは竜さんだけだったんで、「竜さんもそのうち死ぬだろうしな。そうすると竜さんいなくなったら俺、確実にホームレスになるだろうな」って考えてました〉

〈竜さんと飲みに行けば、「タクシー代ください!」とか、もっとストレートに「2万円ください!」とか、そこはもう恥も外聞もなく小遣いせびってましたから〉

〈僕も「上島さん、上島さん」って言ってますけど、いろんなところで上島さんの悪口言ってますから。本人の前ではさんざん褒め立てますけど、他いくと、「あの人、ホントにダメな人ですから」とか、「ホントにセコイんですよ」とか、さんざんなこと言ってますから〉

〈僕の「保険」は上島さんです〉

 こうした生活の中で、有吉が活路を見出したのはとりもなおさず、ダチョウ倶楽部、わけても上島のリアクション芸だった。体を張って裸芸をやった。その後「内村プロデュース」(テレビ朝日)で評判になり、「アメトーーク!」(同)の出来事が有吉のキャラを決定づけた。出演していた品川祐のことを「おしゃべりクソ野郎」と言い放ったら大受けした。「毒舌キャラ」が代名詞になった「おしゃクソ事変」である。

 上島が亡くなったのは22年5月。有吉は大恩人を思い出しながら、今夜も一杯。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部

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