小学生の頃の夢は“世界連邦の大統領” 一代でのし上がった「アパグループ創業者」成功の理由【追悼】

国内 社会

  • ブックマーク

 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は2月11日に亡くなった元谷外志雄(もとやとしお)氏を取り上げる。

 ***

一代で1兆円規模に

 アパグループといえば、日本国内最大級の客室数を誇るアパホテルでなじみが深い。派手な帽子姿の広告で印象的な元谷芙美子氏。アパグループ全体の代表として経営を一手に担ってきたのが夫の元谷外志雄氏だ。

 1971年に前身となる会社を創業以来55年、一代で約1兆円の総資産を有する規模に発展させた。赤字は一度も出していない。

 何度も取材した「財界」主幹の村田博文氏は言う。

「資産潤沢なオーナー経営者で株式を上場していない。株主と銀行を気にする必要がなかった。洞察力の鋭さを問うと、世の空気に流されずに自分で考えるから、と話していました。ワンマンですが慎重でした」

 43年、石川県小松市生まれ。小学校の文集に将来の目標を「世界連邦の大統領」と書いている。父が病気で亡くなり、家計を助けるため高校を出て信用金庫に就職。起業するため金融の実務を知ろうとしたのだ。

 70年、他の信金に勤める4歳年下の芙美子氏と結婚。翌年、小松市で注文住宅事業の「信金開発」を創業。マンション分譲も手がけて業容を拡げ首都圏に進出するも、87年のブラックマンデーを機に不動産を処分する。当時はバブル経済期。事業もさらなる成長が見込めたが、地価が上昇しても、土地が生み出す収益は比例して増えないと現状を冷静に分析した。

 世の流れと逆の行動を取り、バブル崩壊で無傷どころか高値の時期に土地を売却して資産は激増。今度は暴落した土地を買いに転じ、2002年、本社を東京に移しホテル数を急増させた。

 ベッドを広く高級にする一方、意図的に部屋を狭くして客室を増やすなど客の快適さを考えつつも合理的。ケチと陰口をたたかれた堅実経営だが、自分への褒美だと家と車には散財した。

日本あってこその自分

 保守派言論人の顔も持つ。90年に月刊誌「アップルタウン」を創刊。「藤誠志」の筆名で「社会時評エッセイ」を連載、力の強い者の論理で世界の秩序は形成されており、それを直視しない平和論は空想でしかない、などと自らの世界観や歴史観を開陳していた。

「正論」元編集長の上島嘉郎氏は取材時を振り返る。

「JAPANの真ん中の3文字はAPA、アパは日本への思いも込められた名、日本あってこその自分と強調していた。既存の新聞や雑誌を通じるよりも自ら言論活動の場を作り発信する強い自立心がありました」

 政治献金をせずパーティー券を購入しても1枚だけ。そこに家族総出で現れたという。「日本を語るワインの会」などと称して政治家や言論人らを自宅に招いた。

「スポンサー役ではなかった。保守論壇のサロンのような場をつくり、そのまとめ役をされようとしていた。政治家を利用する気も、自身が政治家になる気もない。保守言論を掘り起こそうとしていた」(上島氏)

次ページ:デヴィ夫人は「同じ理念を語り合える友人」

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。