「あさま山荘事件」人質に取られた「牟田泰子さん」が半世紀間、沈黙を守り続けた理由 「犯人に大事にされました」の一言が大きな波紋を呼び…【事件から54年】
軽井沢の律子さん
当然のことながら、逮捕され連行される犯人たちに機動隊員や見物の群衆から罵声がとんだ。
“この野郎、ブッ殺してしまえ!”
“死刑だ!”
連日、ブラウン管に釘づけされていた国民の多くも、同じ気持ちで犯人逮捕のシーンを見ていたといっていい。新聞も「狂気集団」「ひきょうだぞ連合赤軍」という調子で書きたてていた。たしかに、連合赤軍の犯人たちは、残虐非道、鬼のような連中にちがいなかった。
いっぽう、人質になった牟田泰子さんは、「軽井沢の律子さん(注=女子プロボウラーで美人といわれた中山律子さんのこと)」といわれたりする、陽気で色白の美人。犯人たちが泰子さんに危害を加えないという保証はまったくなかった。
10日間というもの、夫の郁男さんの必死の呼びかけにもかかわらず、泰子さんが無事でいることの証拠を、犯人たちはついに一度も出してこなかった。郁男さんの心配はもちろん、警備陣も、焦りと不安を濃くしていった。当時、警備に当たった最高幹部の一人が述懐する。
「実をいいますと、泰子さんは乱暴されたうえ殺されたのではないか、生きていても危うい精神状態になっているんじゃなかろうか、という想定までしていたのです」
事件を注視していた大方の心配も、つきるところそうしたものだったといえよう。
「だいじにされていました」
その泰子さんが、救出された直後にこういった。
「(犯人たちは)よく話をしてくれました。我々のいうことを聞けば最後まで守ってやる。どうしてこんなことをするのか、など政治的な話も聞かされました。きつくしばりすぎた手首を、もんでくれたこともあります」
「警察が攻めこんで来た時も、そこのベッドは放水でぬれるから、奥のベッドへ行くようにいわれました。私を保護しようと気を使っていたようです」
そして、「だいじにされていたんですか?」の質問に、はっきり「ええ、だいじにされていました」とこたえたのである。
みんなと一緒に遊びたい
要するに、「狂気の残虐集団」であるはずの犯人たちは、「善光寺のお守りをくれた」りする“紳士”の集団だったと泰子さんがいったのである。
入院3日後の記者会見でも、泰子さんの話は同じだった。
「早く元気になって家族みんなと一緒に遊びたい」とも答えた。2度の記者会見中、泰子さんの口からは、とうとう最後まで殉職警察官へのおくやみの言葉が聞かれなかった。これが牟田さん夫婦を今にいたるまで、世間に対してかたくなな態度をとらせる原因になったのである。
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この発言を受け、泰子さんのもとには、全国から電話や手紙が殺到したという。その信じがたい内容とは――。【後編】で詳述する。









