「オフでもホテルの部屋を出るときはマスクをつけていた」 83歳になったミル・マスカラス、“千の顔を持つ男”の伝説

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起爆剤として入場曲を

 だが、以降、何度か来日するうちに、その人気は落ち着き、言い方を変えれば、陰りも見えて来た。理由の一つははっきりしている。1970年代半ばより、マスカラスが、自身の売りと言ってもいい、毎試合、マスクを変えるというルーティンを止めたのだ。原因は高まる人気に応じた西ドイツ遠征にあった(1974年)。同地でのプロレスは、同じ会場で何日も試合が続く、いわば大相撲形式であった。そこで主催者から、「毎試合、マスクを変えていては、前日に来た客も、『あれは誰だろう?』と思ってしまう」と提言され、それを受け入れたのだった。

 沈む瀬あれば浮かぶ瀬ありか、そんな時期だった……マスカラスに入場曲「スカイ・ハイ」を付けようという動きとなったのは。

 そもそも、1950年代の力道山の時代から、猪木、馬場が自分の団体を旗揚げする1970年代前半まで、プロレスラーが入場する際にテーマ曲はなかった。1974年9月、国際プロレスに来日したスーパースター・ビリー・グラハムの入場に「ジーザス・クライスト・スーパースター」を使用したのが、この嚆矢とされている。つまり、マスカラス人気が安定した1970年代半ばは、まだまだプロレスラーの入場時に曲を流すという考えが浸透していなかったのである。

 そのきっかけは意外なところからだった。1976年12月、翌年2月にマスカラスが来日すると知ったテレビ局のディレクターが、マスカラスや他の参加選手を紹介する、予告映像を作って流そうとした。ところが、選手の映像は静止画が多く、どうにもアナウンサーのナレーションだけでは盛り上がらない。そこでBGMにイギリスのポップミュージックグループ、ジグソーの「スカイ・ハイ」を流すことにしたのである。

 同曲は1975年に公開されたオーストラリアと香港の合作映画「The Man from Hong Kong」のテーマ曲ではあったが、曲自体がヒットし、日本でも同年10月にシングルとして発売された。翌年には日本で同映画が公開されたが、既に同曲が有名だったため、「スカイ・ハイ」と映画自体が改題されることに。この曲の使用に踏み切った日本テレビ「全日本プロレス中継」の梅垣進ディレクター(当時)のコメントが残る。

〈あの曲は博多に中継で行った時にディスコでかかっていて、それが何となく思い浮かんだんです〉(「アサヒ芸能」2021年2月25日号)

 いざ曲を合わせると、空中殺法を十八番とするマスカラスのイメージにピタリと合い、そのまま入場曲としても使用することに。1977年2月19日、これが4度目の来日となるマスカラスのシリーズ第1戦で「スカイ・ハイ」がその入場とともに流れたのだった。

 さらに、「全日本プロレス中継」はこの時期、土曜日の夜8時から放映されており、オリコン・チャートにも動きが見え始める。3月19日(土)に「ザ・デストロイヤーvsミル・マスカラス」が放映されると、「スカイ・ハイ」が、前週月曜日から日曜日までの売り上げを反映する3月21日(月)付のデータに12位で登場。同月28日付では4位に。そして翌週の4月4日付では2位に登り詰めたのだった(ちなみに1位はピンク・レディー「カルメン‘77」。3位はハイ・ファイ・セット「フィーリング」)。

 以降、3位(4月11日付、4月18日付)、5位(4月25日付)と推移し、5月23日付を最後にベスト20内からは外れるも、その後も根強い人気でチャート100位以内には居すわり続け、最終的なベスト100内在位期間は、62週(約1年3か月!)、総売上枚数は、56万8240枚と、堂々の数字を残したのであった。つまり、冒頭の“都市伝説”は、紛れもなく真実だったのである。新たなマスカラス人気の拡大にも寄与し、いわばウィンウィンの関係に。

 現に、レコード会社は、この数カ月後、それまで映画の1シーンで使われるハンググライダーの写真を使っていたジャケットを、フライング・クロスチョップをするマスカラスの写真に差し替え、上部には赤字で「仮面貴族ミル・マスカラスのテーマ」と大書。B面はジグソーの曲「ブランド・ニュー・ラブ・アフェアー」から、日本テレビのスポーツテーマ「スポーツ行進曲」に替えている。なお、このチャート・アクションからわかるように、洋楽のシングルとしてはこの年「スカイ・ハイ」が断然トップの売り上げで、発売元のテイチクレコードにはそれによる賞も授与された。

 そして、マスカラス人気の横這いに気を揉んでいた「ゴング」からもアクションがあった。件の「ザ・デストロイヤーvsミル・マスカラス」(※会場は日大講堂)の大一番にあたり、竹内が日本のマスカラスのファンクラブに向け、こんなアイデアを出したのだ。

「マスカラスを、皆で作った騎馬に乗せて入場させてあげてはどうか?」

 この頃、NHKの「紅白歌合戦」では、白組、紅組を応援する面々が、騎馬を組んで張り合うという趣向がよく見られた。そこから来たひらめきだったが、ファンクラブの面々に異論があろうはずがない。マスカラスとは既に懇意になっていた竹内がマスカラスに打診すると、こちらも快諾。このファンの騎馬によるマスカラスの入場は、その後の関東のビッグマッチで行われ、これまたマスカラス人気の新たな象徴となった。

 また、マスカラスが新たに打ち出したファン・サービスがあった。それが、入場時にもう1枚マスクを被り、そちらのデザインは毎回変えるという手法だった。この、実戦では使わないオーバー・マスクは、海外の試合ではその都度、セコンドに渡していたが、日本では気前良く、ゴング前にファンに投げてプレゼント。「スカイ・ハイ」、ファンによる騎馬、そしてマスク投げの人気で、マスカラスはそれまで以上の人気者に。リング上でも大いに躍動した。

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