懐かしの海外キャンプ事件簿 阪神が大学生に完敗!ロッテは「UFO」、ヤクルトは「殺人アリ」で大騒ぎ
1970年代末から90年代にかけて、“強い日本円”をバックに国内より安く済む海外キャンプが花盛りだった。その後、沖縄、宮崎などのインフラ整備が進んだことに伴い、国内志向が強くなり、海外キャンプは減少していった。2019年の日本ハム(米アリゾナ州スコッツデール)を最後に途絶えている海外キャンプだが、今となっては懐かしい異国での珍事を紹介する。【久保田龍雄/ライター】
安芸が懐かしい
2ヵ月近くにわたる長期キャンプを行い、国内では1試合もオープン戦を行うことなく、新人、移籍選手、新外国人ら17人の新戦力を“秘密のベール”で覆ったまま、ぶっつけ本番で開幕を迎えたのが、1979年の西武だ。
前年、クラウンから経営を引き継ぎ、プロ野球界に参入した新生球団は、1軍がフロリダ州ブレイデントン、2軍がグアムと、NPB史上初の1、2軍揃って海外キャンプの快挙を成し遂げた。
だが、前身球団時代も含めて初めての海外とあって、想定外のアクシデントに悩まされることになる。
1軍はパイレーツシティ内の4面の球場がいずれも改修中のため、車で約10分の場所にあるマッケニー・フィールドで練習していたが、バッティングケージがひとつしかない。仕方なく、21人の打者がひとつのケージで約2時間の打撃練習を行うことになった。
これでは1人あたり多くても30本程度しか打てず、主砲の田渕幸一も「(阪神時代の)安芸が懐かしい。あの打球が土手にドンと当たる感触が懐かしいんだ。今、日本ではみんなガンガン打っているだろうな」(週刊ベースボール3月12日号)とボヤくほどだった。
後年、田渕は「キャンプで投手と野手の合同ミーティングもほとんどやっていないし、最初チームはバラバラだった」と回想しており、いろいろな面でちぐはぐだったようだ。
そして、開幕戦の4日前に帰国したチームは、攻守とも精彩を欠き、NPBワーストタイの開幕から12連敗と黒星街道を突き進む。2引き分けを挟んで、開幕から14試合未勝利というワースト記録をつくり、一度も上昇気流に乗れないまま、前期最下位、後期5位に終わった。
ワシの目には見えんかった
前出の西武に続いて1980年にアリゾナ州テンピでキャンプを行ったのが阪神だ。球団としては63年のフロリダ州・レークランド以来17年ぶりの海外キャンプだった。
ドラ1ルーキー・岡田彰布を含む36人のメンバーは2月11日に大阪を出発し、同17日から紅白戦を開始したが、長い移動時間やホテルの食事が口に合わないなどの事情からなかなか疲労が抜けない。
現地では同じメサでキャンプ中の大洋、ユマのヤクルトとも複数回にわたって練習試合を組んだが、大リーグとは、3月11日の最終戦のマリナーズとの1試合だけ。それ以外は地元の大学との練習試合になった。
まさかの結果となったのが、2月28日のメサ短大戦だ。先発・藤原仁、2番手・竹田和史がいずれも被弾し、守備の乱れもあって、4点を先制されてしまう。阪神は5回に真弓明信の2ランなどで3点を返したものの、3対6と完敗。これにはブレイザー監督も「カレッジチームにプロが負けるとは」とカンカンだった。
海の向こうでプロが大学に負けた珍事は、スポーツ紙はもとより、一般紙でも「短大パワーに敗れる」(毎日新聞)、「“疲れたトラ”大学に敗れる」(読売新聞)などと見出し付きで報じられた。1991年のたけし軍団以前にも、不名誉な敗戦があったことを覚えているファンも少なくないはずだ。
時ならぬUFO騒動が勃発したのが、1995年のロッテ・アリゾナキャンプだ。
2月4日、キャンプ地のピオリア上空を、未確認飛行物体が飛んでいるのが目撃された。キラキラと銀色に光る物体は、グラウンド上空を西から東へと移動し、姿を消したかと思うと、再び現れた。
ちょうどグラウンドでは、選手を3ヵ所に分けて、無死一塁、無死一、二塁を想定したサインプレーの練習中だった。広大なグラウンド中央にある指令塔で指示を出していたバレンタイン監督が第一発見者となり、「西武がウチのサインを盗みに来たんだ」のジョークを飛ばした。
練習中のナインも上空を見上げ、「もっと(動きが)速いでしょ、UFOは。あれは風船じゃないですか」(サブロー)、「米国の砂漠にはUFOの基地があるって、(UFO・超常現象研究家の)矢追純一さんが言ってた」(定詰雅彦)など、さまざまな感想を漏らした。
だが、広岡達朗GMだけは「ワシの目には見えんかった」とあくまでクールだった。
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