夫の死で人生一転、遺骸の一部がホルマリン漬け標本に…明治を代表する「毒婦」たちの激動生涯

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傍聴席には講釈師がズラリ

〈夫(それ)から二言三言争ひたる末峯吉は私しの右の肩先を突きましたから私しは尻餅をつき右の手で出刃を取り逆手に持ッて横に払ひました(当たったのは)向ふ腹だと思ひます〉(読売新聞・明治20年11月20日付)

 峯吉は死に、お梅は自首したが、世間は元芸者の犯行に騒然となる。裁判では、お梅を一目見ようと、2000人もの群衆が集まった。傍聴席には講釈師がズラリと並んだ。事件を高座に掛ければ、客が集まる。こと請け合いだったからである。

 しかし、なぜ、人々はお梅を“毒婦”と呼び、騒ぎ立てたのだろうか。

「花井お梅は芸者としてエリート街道を走っていた女性です。話題になったのは、芸者だったからでしょう。当時の芸者は今の女優のような存在でしたからね」

 とは『日本の女殺人犯101』の著者でノンフィクション作家の日高恒太朗氏。お梅に無期徒刑の判決が下ったが、40歳の時、特赦で出獄した。その後、汁粉屋やレストランを開いたものの失敗。役者として、峯吉殺しの芝居で巡業したりしたが、54歳で病死した。

 墓は、東京・港区西麻布の長谷寺にある。

「お墓はご親族がキチンと管理されています。毎年3月のお彼岸の頃、お墓参りにも来ています」(長谷寺関係者)

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「死刑にしないでね」――第2回【「死刑にしないでね」カネと“自分”を報酬に殺人依頼…3人の命を奪った毒婦は女性の死刑執行「戦後第1号」】では、3人を毒殺した「熊本の毒婦」、旅館乗っ取りのため経営者夫妻を手にかけた小林カウのエピソードを紹介する。

デイリー新潮編集部

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